ほぼ足りてまだ欲 その先

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日比谷公園

 意識して日比谷公園を訪れるなんて、いったい最後はいつだったんだろうか。多分3.11からそれほど経たないころにあった原発再稼働反対デモに連なった頃のことかも知れない。
f:id:nsw2072:20191205205017j:plain:w360:left 地下鉄から日比谷駅A10の出口をあがってきてひょいと日比谷公園の横の通り、すなわち日比谷通りに出ると柵の内側にこれまで気がついたことがないモニュメントがあって、上に誰かさんの胸像が乗っている。下には「東洋の偉人 ホセ・リサール博士記念碑 東龍太郎書」と書いてある。誰?
 もう一枚の銘板には「社団法人日本リサール協会 東龍太郎、神保信彦、木村毅、比国駐日大使マヌエル・アデバ Rizal Society of Japan」としてある。東龍太郎というのは前回の東京オリンピックの頃の東京都知事で、私も覚えている。神保信彦というのはウィッキペディアに依れば「第二次世界大戦中にフィリピン第三共和国の初代大統領となるマニュエル・ロハスの生存に貢献した」ということだが、初耳だ。「戦後は日比親善交流に奔走し日比友好協会(日本リサール協会)設立にも貢献した」と書いてあって、ここで期せずして日本リサール協会が日本とフィリピンの友好協会のことだと判明する。そこで木村毅だけれど、どうも文学者である。この人の作品の中に「『ホセ・リサールと日本』アポロン社 1961」というのがある。縁浅からぬところを感じるわけだけれど、それをいったら、彼は様々な人のことを書いているから、だからどうしてもここに登場する意味があるのかどうかは当時の世評を調べてみなくてはわからんだろう。
 さて、そのリサールさんだけれど、いつものウィッキペディアに聞いてみると、フルネームは「ホセ・プロタシオ・メルカード・リサール・アロンソ・イ・レアロンダ (Jose Protacio Mercado Rizal Alonzo y Realonda,1861年6月19日 - 1896年12月30日)」と書かれている。
 公園の中に入って前に回ってみた。すると「フィリピンの国民的英雄ホセ・リサール博士1888年この地東京ホテルに滞在す。1969年6月19日建之」としてある。実は6月19日というのはリサール博士の誕生日である。それで東京ホテルなんだけれど、これまたネットで検索したら簡単に見つかるだろうと思っていたら、いやさにあらず。全くヒットしない。様々なキーワードを駆使していたら、こちらの方のサイトに到達。どうもこのホテルは日比谷公園の敷地に建っていたわけではなくて、堀の外側、つまり三信ビルがあった側に建っていたらしい。しかも、このフィリピン独立の志士、リサール博士は東京ホテルには予定では二泊ほどだったらしいのだけれど、結果的に40日ほど滞在し、その理由は日本人女性にあったらしいという、15カ国語に長けていた天才としては非常に人間らしくて微笑ましい。
 1961年といえば東京オリンピックを前に正に日本が戦後の苦しい状況から脱しようとしていた飛躍の時代ではないか。
 公孫樹の黄葉を見に行くつもりだったのに、面白いモミュメントに遭遇してしまった。