乗り物に乗るのは怖い。どこに感染者がいるかわからない。特に、私が乗るバスは、1時間に最低4本は来る路線なんだけれど、平日だろうと、週末だろうと関係なく、特に老人率が高くて、不思議な人たちが乗客に多いので、普段は見ているだけで面白いんだけれど、こういう時は、どこまでちゃんと分かっているのかどうか、その辺がわからないので、あんまり安心できない。
通路を挟んだ向こうに座っていたおばあさんが、自分の前の席が空いたら、即座にそこへ移ったのは良いが、自分の小さなトートバッグを窓際にどんと置いて、自分は一人分以上に場所をとって座った。横に、途中から乗って来たお婆さんが座ろうとするも、詰めようとしない。座ろうとするおばあさんの方も負けずと、ぐいっと体を入れる。それでもトートバッグを膝の上に置いて詰めようとはしない。隣に誰かが来ないように、占領して座っていたんだったら、素直に明け渡して、遠ざかった方が賢明だと思うけれど、そこまでは気は回らないらしい。そう思いながら見ているうちに、このお婆さんは日頃はどんな生活をしているのかなぁ、近所のおばあさんの前では口角アワを飛ばして、わぁわぁやって来たのかもしれないなぁと想像する。
立っていたお婆さんが次で降りるらしくて、押しボタンを押すんだけれど、「次停まります」の灯りの方を押して、「あれっ!」という顔をした瞬間に、誰か他の降りる人がボタンを押してくれた。ひょっとすると、この人はバスに乗るのが今日が初めてなのかもしれない。長い人生、何をしていたんだろう。
余計なお世話をしつつ、出かけたのは、どうしても我慢ができずに、日本橋辯松の弁当が食べたかったからだ。まったく不要不急の外出である。これできっと明日の感染判明者はまた200名を超えるだろう、なんて筈もないか。
できるだけ本屋には入らないようにしている。タロー書房のお姉さんはまるでコンビニのキャッシャーのようだった。クレジット・カードの暗証番号を入れるあのテンキーをあの店が消毒しているわけはないだろうなぁ。
天気予報がいうには、今週はそんなに暑くはならないだろうというから、できるだけ歩こう。明日から、ジャンボが売り出されるといっている。買わなきゃ当たらないんだけれど、あんなにテレビで宣伝していると、無駄金を使っているんだなぁとしみじみ思う。今度の広告は若者に、生きがいよりも、愛よりも、世の中は金だ!といっているのが気に食わん。多分チャンスセンターにできる列は、また爺婆ばかりで、列全体の色彩が暗く、汚い。
爺婆といえば、バスにギッタギタのズボンを履いたおじいさんが乗っていたけれど、散々若者の穴だらけのデニムを見て来たから、一瞬なんの抵抗もなかったんだけれど、多分あのおじいさんは家なきこの人だったのかもしれない。どこから乗って来て、どこへ行くんだろう。そういえば今日は日本橋の地下通路にも、ガラガラをおしたそれっぽい女性も見た。このウィルス騒ぎの中、そういう人たちが増えているんだろうか。弁当一つでウキウキしている場合じゃないな。
追記:やっぱり本屋は丸善か、八重洲ブックセンターへ行くしかないなぁ。雑誌はやっぱり教文館。慣れたところでは、本を探すのも楽だからね。ただし、買いすぎてしまう。