今じゃラジオニッポンとかいっていて、まるでネットウヨが主催してるYouTube番組みたいな名前になっているけれど、当時のラジオ関東は、横浜の青少年に多大なる影響を及ぼしていたのだった。ケン田島の「ポートジョッキー」、前田武彦、巨泉、永六輔、三保敬太郎、保富康午、はかま満緒なんてのが、出ていた「昨日の続き」、VANジャケット大流行の時の「IVYクラブ」なんてのは覚えていたんだけれど、もうひとつ、女性アナウンサーの番組があったんだけれど、それが思い出せない。ミッキー安川を知ったのも、この局だ。
「昨日の続き」は聞いていた人たちがかなりいたらしくて、ネット上でも様々な記録が残っている。提供が参天製薬だったこともそれで思い出した。この番組は時に外に出て収録することがあって、1966年の夏は当時まだあった茅ヶ崎のパシフィックホテル茅ヶ崎のプールで収録があった。ハガキを出してそれがあたって、茅ヶ崎までいった。このホテルが例の加山雄三や,彼の父親である俳優の上原謙なんかが共同経営だといわれていたホテルだ。のちに倒産して、加山雄三は夫婦で債権者から逃げ、欧州を放浪したと聞いたことがある。出演者でホテルに来ていたのは前田武彦だけで、彼の廻りに聴取者(昔はリスナーなんていったことがない)が取り囲んでいた。男の出演者はもう全員が鬼籍に入っているのだけれど、唯一の女性出演者であった、富田恵子(草笛光子の妹)だけが健在で、BSフジの実に、その、なんなんだという番組「クイズ脳ベルSHOW」に出てきたっていうのを聞いて、ビックらこいただけじゃなくて、懐かしいことをいろいろ思い出したのだ。
1960年代前半といえば、中学、高校の時期になるんだけれど、なぜか、私の周辺にはBilly Vaughn and His Orchestraだったような気がする。それはラジオのテーマソング代わりに使われていた曲が多かったということにもあるのかも知れない。なにしろメロディアスな選曲だし、うるさくないし、後ろにかけておいて、話を載せるにはもってこいだった、ということもあるだろう。中学では昼休みに放送室からDJをやっていたものだ。やたらませた中学生がいたもので、あれは一体誰だったのか知らないのだけれど、そのテーマは「峠の幌馬車」だった。あれはもちろんBilly Vaughn and His Orchestraだった。
良く聞いたのは「Among My Souvenirs」という元はといえばコニー・フランシスの歌で、これを実に上品なピアノにしているのもBilly Vaughn and His Orchestraだった。1960年代は後半に入ると、これはもうもっぱらThe Beatlesであり、私は完全に打ちのめされてしまって、勢い余ってGSにも突っ込んでいくんだけれど、当時はこの手の音楽を馬鹿にしていた。誰も聞いちゃいねぇよ、こんなのったりのったりした曲なんて、と思っていた。
齢、古希を過ぎて、今じゃ非常にノスタルジックで、リラックスできて、できることなら、このあたりの曲で野辺送りをして貰いたいくらいだ。
この辺の話題はこれまでこのブログに何度となく書いていて、もはや辟易だ、といわれそうだ。