ロカビリー時代の歌手で清原たけしという人がいて、六本木の公衆便所の傍のビルの地下にある、小さな店でライブを夜な夜なやっていた。私はロカビリー世代よりもずっと〔そうでもないかな〕若いから、彼がニール・セダカの「Goiing Home to Mary Lou〔恋の一番列車)」という唄を歌ってヒットしたというのは全然知らなかった。唄そのものはもちろん知っていたけれど、日本人は誰が唄ったかについては全く興味がなかった。
職場の先輩に連れられていったんだけれど、その連中は銀座の片隅とか、六本木のそんなところとか、反対側の今の新国立美術館に行く方の普通の住宅街の中にあるおでん屋とか、どこかの二階にあるちょっとしたバーなんかでしょっちゅう飲んだくれていた。当時は海外の仕事のために集められたのに、本部長がしばらく海外の仕事なんかやらねぇとか突然抜かして、お茶を引いていた連中だった。国内の仕事を地道にやっていた連中におんぶして糊口を凌いでいた。だから、つい呑みに行く。
話を戻すけれど、清原たけしはギターを弾きながら、ニール・セダカやポール・アンカを唄っていた。それが結構良くて、そりゃそのはずで、清原たけしはスイング・ウェストで唄っていたはずだ。エコチャンを響かせて、Eddie Cochran の「Sittin in the balcony 〔バルコニーに座って)」を甘く唄っていたのを想い出す。この曲はかつてのロカビリーの歌手は好んで歌い、好んで録音した。
その店で、ほぼ二回に一回は遭遇するのが、当時のラジオ関東の人間だという男で、清原たけしのロックに合わせて店の外で服を脱いで入ってきて踊る、と云う実に下世話な趣向なんだけれど、これが酔っ払っていると、面白くて面白くて、日頃の憂さを晴らしていたなぁと、たった今、想い出した。しょうがない日々だったのだ。そこから一念発起して、手を上げて、アメリカの田舎町に研修に行き、帰ってきたら、会社にお返しをしろといわれて砂漠に行った。