こんなこと書きたくないけれど、一応メモとして残しておく。
多分、今回の選挙で、自公維+国民で参議院議員の2/3を占める結果になるような気がする。
あそこで、安倍晋三が撃たれて死んだこと、およびその後のテレビの報道によって、大きく同情票が動いたことだろう。
それでなくても、投票に行かない人たち、そしてどんな背景があろうがなかろうが、「お上」としての絶対感を保持している自民党習慣者(こんな言葉はないけれど、習慣的にそれまで存在する権力者としての自民党を自動的に支持する人)はがん然と存在する。
安倍晋三は怪しからんけれど、本来自民党はそうじゃないんだと思い込んでいる人は多いに違いない。
もうとっくに色褪せてしまって、二世・三世ばかりのボンクラ集団になっているだなんて思ってもおられない。
なにしろあの人の息子だった、あるいは娘婿だった、間違いがあるわけがないとみんなそう思っているんだろうと、思い込んでいる。
この思い込みは相当根強い。
共産党のアカ連中なんかに任せられるわけがない、ましてや、テレビでバカやってた若造に説教くらって、今更あぁそうですか、なんて意見を翻せるわけがない。先祖代々うちは自民党の先生方にお世話になってきたんだ。その自民党と一緒になって何十年もやってきた公明党が悪いわけがない、昔は折伏なんてんで厄介だったけれど。
周囲と同調依存する力に関してはあの戦争の時に十分鍛えられた。
隣組精神はあの時の親の世代で終わったわけではない。
あの親たちに育てられたというのは、そういう価値観の中で育ってきたという事なのだ。
それは染み付いている。例えば、民族差別にしても、あの世代はもう当然の如く、朝鮮半島に暮らす人たち、中国に暮らす人たち、台湾に暮らす人たちを見下げる価値観を持っていた。
その仕返しを恐れていたことからも、如何に野蛮な価値観を持っていたのか、よくわかる。
そういう価値観を基に暮らしてきた人たちに育てられたんだから、当然そういう価値観を根に持っていた。
私たちの世代の多くの人も、当然それに従って育ってきたから、酒場で酔っ払った時なんかに平気でそういう差別言葉を口にしていたのは事実だ。
それは遺伝子的に打ち込まれた価値観といっても良い。
それは選挙でも、ほとんど同じだ。
今回、それが覆るだろうか。