ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

だまっておれ

 消費税増税反対!とさけんだ聴衆に対して、二階俊博幹事長が「黙っておれ!」と叫んだそうです。街頭演説ですから、どんなヤジが飛んでも自由だし、それに対してどんな態度を取っても自由ですから、これがどうだこうだというつもりはありません。しかし、このおっさんはずっと実に不器用な人で、なにをいうにしても、なんだか明治生まれのもうはるか彼方に存在した価値観のまま、人生を、というか、日々を暮らしているように見えて、私にはむしろ懐かしく感じてしまう、という状況におられるのです。
 かつて、ま、どれくらい昔かというと、私が社会人になったばかりの頃、周りにはこんな価値観、あるいは行動を取る爺連中で溢れておりましたよ。その人達の価値観のおしりにはどうしても、昭和初期の頃から戦争時期にかけて、つまり戦争で完膚なきまでにやられてしまった価値観がこびりついていたものです。
 それはどうしたって致し方がない。そんな価値観の中で人間が形成されてきていたのですから、変えようといったって、そう簡単じゃない。官僚の世界でも、民間社会でも、あの時期の価値観を一変させるような革命が起きたわけではないのです。自分たちから価値観を変えなくちゃいけない、こんな社会ではいけないと思ってきたわけではないのです。
 戦争で空襲され、あるいは外地で放り出されて栄養失調で死にそうになって、あぁ、こんな事態にはなりたくない、とは思ったけれど、こんな社会のあり方は根本的に間違っている、軍の指導部をひとり一殺してでも、この軍事全体主義を崩壊させなくてはならないと蜂起した結果ではないのです。厭戦思想ではあったけれど、反戦思想ではなかったというのが保阪正康解釈です。それは確かにそうだと思う。
 原爆であっという間に何万人と殺され、後々まで被害が及んだから「あぁ戦争はいやだ」というのはわかるけれど、政府の方針を確認することもなく、どんどん中国侵略していった軍部に対して、植民地主義の実践の為に暴力を振るうのは間違っているといって反戦運動をしたわけではありませんからね。
 その点では兵役拒否をし続けたものみの塔の明石順三の反戦思想と、もう食糧もなくなり、空襲に痛めつけられ、もう戦争なんていやだ、という厭戦感とははっきりいって別物です。
 そうした軍事全体主義を無理強いして広めていった人たちの意識改革なんてものは一切なかった。たまたま、連合軍が平和を侵す戦争犯罪の首謀者として処刑した人たちの命を奪っただけで終わってしまいました。社会から追放された人たちだって、あっという間に戻ってきただけではなくて、米国の要請によって復活した警察予備隊に、あの時の軍部の将校達は危機として現場に復帰してきましたからね。
 明治維新というべきか、なんというべきか、また議論が必要ですが、あれ以来綿々と官僚主義はそのまま生き残っています。なにも変わっちゃいません。
 そういう価値観が、自民党を支え続けています。国民は黙ってそれに従っています。なんも変わっちゃいません。