相変わらず天気晴朗なれど風強く、思わず両手をコートのポケットに突っ込んで、背中を丸めて歩いてしまう。地下鉄の駅へ行くのに、近頃はひとつ先の駅まで歩く。なぜかというと、それが南に向かう通りを歩くことになり、ずっとお陽さまを浴びていられるからだ。東西方向に歩くと、全くその恩恵に浴することがない。お陽さまの力は素晴らしい。レモンパイ屋の前も、カフェの前もすでに行列である。
例の新しい古本屋で「八千代の三年 昭和十九年の秋から昭和二十三年の秋」(水澤周作 風媒社)を100円で買う。
東銀座の駅を降りて驚いた。相変わらずのCOVID-19蔓延感染者数増大にも関わらず、街中には驚くほどの人が繁華街に繰り出している。あのインド料理屋にも行列ができていてびっくりした。日頃昼飯時でもあそこに行列ができているのは見たことがない。
銀座の松屋の冷凍食品売り場が面白いんだと家人が言う。テレビで見たというのだ。今年の夏から「銀ぶらグルメ」というのがB2の冷凍食品売り場にあるというのだ。ところがそこへ降りるまでが大変。B1の店内がまともに歩けない。全体がのったりのったりとウネッている感じだし、各コーナーに行列ができているから、とても真っ直ぐに歩けない。肝心の冷凍食品売り場はスーパー売り場のいちコーナーという感じで、確かに見慣れない冷凍食品があるけれど、へぇ〜っというほどのものじゃない。バスケットいっぱいに山盛りにした冷凍食品を買って送らせているおばあさんがいて、目が点になる。あれでいったいいくらするんだろう。どういう生活をしているんだろうと考えてしまう。
散歩ついでに日本橋まで歩く。日頃買い物をするローソン系のスーパーに行って買い物をしようと地下へ潜り込む。店の中の棚に商品がとても少ない。どういうことだろうと思いながらレジに向かうと、今日はいつもとは違う並び方になっていますという表示がある。そこへ行ってみると、なんと驚くなかれ30-40人くらいの人たちが赤いバスケットを手に外にまで並んでいるのである。いつもだったらせいぜい3-4人である。クワバラクワバラと何も買わずに帰ってきた。
クリスマス・イブが土曜日、クリスマス当日が日曜日というのはめったに無い。毎年、イブの夕方礼拝にうまく出られたとしても満員で、ならばと当日の10時半の礼拝に出て、そのまま街に出ると忙しそうな年末の日常で違和感があったけれど、こういうときは礼拝を終えて街へ出ても、街もお休みでそれらしい雰囲気になる。ただし、帰りに日常の買い物はできない。
しかし、COVID-19蔓延下、うちの教会の殆どの礼拝は予約ですでに満席だという。日曜日の夕方の礼拝だけはまだ空きがあるという。今年も献金を振り込みにする。そういえば、うちの両親の供養をしていただいているお寺さんにも護持会費を現金書留で送らなくてはならない。
父親は晩年神棚を設えて橿原神宮だったかの御札を祀ってお参りしていたのを知っているんだけれど、かれが神道istだと宣言したのを直接聴いたことはない。そういう話を全く父と息子はしなかった。立ち入った話をすると必ず喧嘩になるからだ。あれはなんでなんだろうか。犬を散歩につれていき、某神社で永いこと頭を下げていたのを見たことがあるけれど、なにをお願いしていたのかに立ち入ったことはまったくない。
母親とは宗教的な話を全くしたことはない。しかし、父親が死んだ時、母親は神道で葬式を出すとはいわなかった。父親の岡山の実家の跡取りと連絡を取り、「うちは日蓮宗で菩提寺から縁のある横浜の寺を紹介してもらおう」というので紹介された寺に頼んで葬式を出した。よく知らなかったから、盛大な葬式を出した。おふくろが費用負担するんだからと。それから横浜線の鴨居にある寺と縁ができた。おふくろのときも同じ寺に頼み、そこそこな葬式を出した。つれあいは自分は宗教もなんにもないから、誰にも知らせないでいいからそのまま火葬にしてくれとCOVID-19が流行る前からそういっている。私はどうしようと、今でも思っている。教会でやってもらってもいいけれど、残された人たちが面食らうだろうから、同じようにそのまま火葬にしてもらっても良いがなぁ。