ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

旧安田楠雄邸庭園

 4travelに公開されたある方の旅行記で、千駄木に旧安田楠雄邸庭園なるものがあることを知った。不忍通りは日頃から六義園へ足を運ぶ時に都バスで通るのだけれど、千駄木三丁目の停留所から西へ坂道をヨイショと上がったところにあるらしい。坂道をヨイショと上がることが嫌だ。それで、都バスでいったら、池袋駅東口と浅草寿町を結ぶ草63というバスが、不忍通りを右に曲がって団子坂をあがるから、それで千駄木一丁目で降りる。ひょいと見ると、文京区立森鴎外記念館(観潮楼跡)というなんともモダンな建物が建っている。さすがにお金持ち文京区は建てるものも格好良い。「設計者の陶器二三雄氏は、当館の設計により2014年 第55回BCS賞、2015年 日本芸術院賞、日本建築学会作品選奨を受賞」とHPに誇らしげに書いてある。今日はモダンの日ではないので後日改めてくることにする。

広い応接間

千駄木五丁目20-18 旧安田楠雄邸庭園

 豊島園を造った藤田好三郎が1919(大正8)年に建てたものを安田善次郎の三女・安田ミネの婿・安田善四郎が1923(大正12)に買い取る。安田楠雄は善四郎の長男で、1937年にこの建物を相続。1995年に91歳ぐらいで他界。残された奥様・幸子さんが日本ナショナル・トラストに譲る。現在は日本ナショナル・トラストが管理をしていて、女性のボランティアの方が何人も訪問者に対応しているが、公開されているのは水曜日と土曜日だけだという。唯一の洋間である広い応接間にはピアノと電蓄がおかれているが、電蓄はVictor Talking Machine Co.製である。もちろん鉄針だけれど、ボランティアの女性が仰るには普通の鉄針ではなく、その筋のマニアから忠告を受けて楕円の針を銀座で求めてきて再生しているという。

 簡単な案内書には敷地面積約450坪としているが、元は裏の道まで敷地だったそうで、一番奥を一部分売って、現在の玄関右手にある建物に奥様は移り住んだとのこと。この辺のお屋敷街は震災にも、空襲にも燃えずに済んだわけで、やっぱり済むんだったらお屋敷街ですかねぇ。二階の真ん前にものの見事に咲く枝垂れ桜がまさに見頃で、そのためにお庭が公開されていたのはラッキーでした。
 どこで知るのか、白人の観光客と思しき人達も二組ぐらい見かけたものの、なんで彼らは平気でノーマスクで入ってくるんだろうか。これだけ日本人がマスクをしているところに入ってきたら、違和感を感じないのか、それがとても不思議。

 帰りに安田邸を出て特養の前に来たら、丁度文京区のコミュニティーバスが来たからどこへ行ってもいいやと飛び乗ると、駒込病院に来たので、ひょいと降り、病院でトイレを借りるが、入ってびっくり。ロビーは待っている人でごった返しているのである。一体、こんな真っ昼間になんでこんなに人がいるんだろうかと。この辺には他に病院はないのかな。都バスの停留所へ行ってみると、北千住行が来た。なんでも良いから乗ってみると、動坂下から田端駅、尾久橋通りを舎人ライナーの下を辿って熊野前へ。そこから旭電化通りを尾竹橋通りへ来て、橋を渡って北千住へと至る。動坂下からあっという間に田端のすっかりきれいになった駅で、なんと800mくらいしかない。私の頭の中ではもっと遠い印象だったから、あれよ!と口あんぐり。バスに乗れば、もうそれだけで旅でございます。