ほぼ足りてまだ欲 その先

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誕生日

 本日は裕仁くんの誕生日だった。
子どもの頃はこの日からゴールデン・ウィークが始まるというわけで、ウキウキした。
社会人になってからはここを外したら、あとは年末年始まで長い休みがないからここぞとばかりに遊びに行った。

裕仁くんが亡くなってからは昭和の日なんていい加減な名前をつけてそのまま祝祭日にしている。
「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧(かえり)み、国の将来に思いをいたす」ということになっているけれど、誰もそんなこと知らない。私なんぞこの日が「昭和の日」という祝日だとは知らなかった。だって、ついこの前までは「みどりの日」だったぞ。もっともなんだよ「みどりの日」って?、というわけだ。その「みどりの日」だって今は5月4日になっているんだそうで、なんともいい加減なもんだ。
はっきりいって戦前の習慣をそのまま適当な理由をつけて休みにしているだけ。

明仁くんの誕生日12月23日はどうかというと、祝日ですらないわけだが、これはどういうことなんだろう。
亡くなったら「平成の日」とでもいう祝日にするの?年末の一番忙しいときに突然お休みにされちゃうのもどうかと思うけどね。

もっと可愛そうなのは嘉仁くんで、大正天皇さんはこの名前すらほとんど人の口に上らない。知られていない。そのたびに私はウィキペディアにお伺いする。彼の誕生日は8月31日で、天皇だったときですら、このやたら暑い8月の末日には式典すら行われなかったという。
もちろん彼の誕生日は「大正の日」とはなっていない。それくらい彼は皇室の中でも疎んじられていたというか、軽んじられていたような気がする。

明治になってからの習慣で、こんなものは日本の伝統でもなんでもない。
神格化するための策略であり、やめてしまっても良いと思う。

戦後になってマッカーサーの助言によって、裕仁くんが日本全国を巡回したときに、日本国民は誰ひとり彼に罵声を浴びせたものはおらず、逆にバンザイを快哉したではないかという話があるが、そりゃそうだろう。あれだけ神格化し、単なる写真を「御真影」と称して子どもにまでお辞儀をさせ、1898年に長野県の町立上田尋常高等小学校で火事で明治天皇御真影が焼けちゃったときに校長が割腹自殺までした。学校の式典では宮城遥拝なんてことまで習慣づけたくらいで、洗脳された国民にとっては当然のことだ。
「 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね」のプラカードが登場したのは1946年5月19日の食糧メーデーだそうだ。
今の北の首領様のお太り具合とは比べようもないけれど、やせ細った姿は見たことないものなぁ。