二度目に大学に入った時に、一番嫌だった授業は、「では、この問題について、周辺の人たち、3−4人のグループで討議してみてください」というやり方だった。なぜ嫌だったかというと、必ずグループになったメンバーの中に、まともに取り組もうとしない学生がいることだった。この方法は全員が真剣に取り組めば、討議をする、あるいは意見の異なる人と、どこがなぜ異なるのかを解明し、それを共有するという経験になって、将来必ず役に立つスキルを身につけることができる。しかし、そんな経験を全くそれまでに持ったことがない学生は自分の意見を表明するという、そのこと自体に怯えてしまう、そして自分を閉ざす、あるいは全くさぼるということになる。
高校までの学校の授業が「考える」という行為を全く求めていない結果だ。今から考えると、日本の教育の根本的な問題点はここにある。「勉強ができる」の意味が「たくさん覚えている」ということに貶められてしまっていて、明治革命以降、全く変わっていないのではないか。
突然大学生になったからといって、訓練されていないスキルを手にできるわけではない。今まで、教育学、教育行政は何をしてきたんだろうか。