ほぼ足りてまだ欲 その先

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労働者派遣法

そもそも戦後1947年に公布された職業安定法第44条により、「労働者供給事業」は原則として禁止された。
「何人も、次条(第 45 条)に規定する場合を除くほか、労働者供給 事業を行い、又はその労働者供給事業を行う者から供給される労働者を自らの指揮命令の下に 労働させてはならない」
 ちなみに次条つまり第45条というのは「労働組合等が、厚生労働大臣の許可を受けた場合は、無料の労働者供給事業を行うことができる」というものだ。

 一方、江戸時代には口入屋という商売があった。(私が知らないだけで、もっとず〜っと前からあったらしいけどね。)落語の「化け物使い」という噺には「日本橋葭町の千束屋(ちづかや)」という口入屋が出てくる。次から次に人を要望するところから口がかかり、働き口を求めている連中が店の土間に立って待っている。
 日本橋の佃煮屋が飯炊を・・呉服屋さんが女中さんを・・、次はね、本所の割下水、元お武家さん隠居さん!(吉田さんは人使いが荒くて有名だよ!)
 職業斡旋所だからいいじゃないかということになるが、給金もろくすっぽ決まってない状態で働き口に行くというわけで、上ん前を跳ねることしょっちゅう。つまり労働条件のピンハネだ。そんなの今の人材派遣と一緒じゃないか、という話になるんだけれど、まさにその通りで、なんで戦後に文明国家となってそういうピンハネ事業が禁止されたのに、今ではこんなにピンハネが昼日中堂々と罷り通っているんだろうか、という話だ。

 そういいながら戦後の高度経済成長期には東京都内ではあちこちに人寄場とでもいっても良いような場所があった。多くは職業安定所があったすぐそばに自然発生的に、主にヤクザが取り仕切る日雇い労働者を現場に届けるという仕事というか、手配師ピンハネが横行していた。職業安定所が「本日の斡旋仕事は以上!」といって閉まってしまうから、そこから暗躍する。「池袋の建設現場にあと3人!」とかいってトラックに乗せていってしまう。乗り遅れると、その日一日あぶれてしまい、その辺で危ない酒を煽ってごろ寝するより他にやることがない。高田馬場にも東神奈川にもそんなところがあったが、東京で一番有名なのは勿論山谷だった。岡林信康が「🎶きょうのぉ〜しごとぉはつらかったぁ〜、あとは〜しょうちゅうをあおるだけぇ」と山谷ブルースで歌っていた。当時はこの界隈には行っちゃいけないよといわれていた。当たり屋なんて言葉もあの界隈で聞かれたし、夏になると決まって大騒動が起きたものだった。
 しかし、今や山谷はお爺さんになってしまったかつての東京建設を支えた人たちがヨボヨボと暮らす街になってきてしまった。

 ハッと気がつくとあっという間に日本はそんな口入れ屋が大手を振って偉そうな能書きを垂れる国になってしまった。竹中平蔵が株主となって会長職についていたパソナなんて会社はその最たるもので、なんと世界に存在する「人材派遣業者」のほとんどは日本にあるという統計すらある。つまり日本はそういう意味でも、ピンハネが横行する国に落ちぶれている。

 なぜこんな国になったのか。平たくいってしまえば、政治献金に目がくらんだ自民党が、公明党と手と手を携えて経団連のやり易い政策を優先的に進めてきたからだ。警鐘を鳴らし続けてきたはずだったのに、マスコミまでが総理大臣に呼ばれて一緒にご飯を食べては、口約束で誤魔化してきたものだから、今や正社員にならなければまともな暮らしが立ち行かないという非常に歪んだ国になった。これがあっという間にそうなってもやられてしまうが、じわじわとやってくると、有権者は気づかない間に口入屋のピンハネに手を貸している。自公維国に票を入れる、あるいは選挙にいかない、ということはピンハネに手を染めているということと同じ意味だ。

 不思議だなぁ。なんでこんな国になっちまったんだろう。