ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

子どもの頃から

 自分が戦争の時代に生まれていたら、そりゃ、八紘一宇の時代にあって今こそ自分がこの国を守るために!なんていきり立って、皇軍の一員として邁進するんだと思いこんでいただろうなと、そういうふうになるのが当然だっただろうなと思っていた。
 それを覆したのは、多分学生時代のいわゆる全学連運動だっただろう。自分自身は参加はしていなかったけれど、常にそちらの側に立っていたいと思うようになった。

 その延長線上に、やっぱり森達也がいうように、自分たちの負の歴史を常に意識していくべきではないかと思う。そしてそれなくしては傲慢なる思想を自ら生み出していくだろう。

 面白いことに日本の歴史では、戦国時代といわれる期間にあっちでもこっちでも、いわゆる武将と言われる乱暴な権力者がなにかといえば隣の勢力や、その時の強そうな勢力に反する連中に喧嘩を仕掛け、それを戦いなんぞと称して住民を蔑ろにしてむちゃくちゃにしてきた。そして、そういう争いを「歴史」と称して伝え残してきた。実に暴力的で、くだらない負の歴史そのものである。そうした勢力争いが日本の文化を残し、伝統を作ってきたんだとしたら、実にみっともない。権力者だけの歴史ではないか。
 その上、それに続く、徳川幕府の時代は特権階級による抑圧の歴史そのものだしね。そしてそれを今でも喜んでいる風でもある。天皇家も、そして徳川も今でもその係累をありがたがっているように見えるのだけれど、それはただの権威主義そのものだと思うのだね。そして我が同胞はその権威主義が大好きだ。
 安倍晋三岸田文雄をその辺で見かけたら、多分多くの人が思わずニコニコして駆け寄って、握手をしようとするだろう。それは権威に自分を重ねようとしているに過ぎない。安倍晋三はそれで調子に乗っていた。
 皇室の車列が通りかかったら、ニコニコしながら手をふるだろう。なんで振るの?と不思議でならない。向こうはあんたのことなんて知らないよ。「良い印象を与えるためにはそうしなさい」というのでやっているに過ぎない。
そういったら、「いやいや、そんなことはない、あの人のことだ、本当に心の優しさからそうしておられるのだ」と反論するだろう。どうしてそんな事がわかるの?

 ふん!そんなへそ曲がりなことをいっているのはお前くらいのものだ、そんなやつは知るものか!
ほら、異物を作り出して、自分のステイタスを安定化するのだ。