ほぼ足りてまだ欲 その先

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自然



 学校を卒業してからこの方、ずっと、ずーっとコンクリートの箱の中で暮らしてきた。だからもうコンクリート内生活歴は半世紀以上になる。それまではずっと(といっても人生の25%くらいだけれど)地べたに建った木造の家に暮らしていた。
 今から考えると、その25%の間に経験したことが私の自然に対する感覚、感受性の基礎になっていたような気がする。これだけ都会に集中して人が暮らすような時代になって、そうした自然に対しての感覚が世代によって変化してくるのは当然ではないかと思うようになった。
 ただ、私の場合は子どもたちと一緒に休みのたびに出かけた群馬の山奥でのキャンプはそれを補完する役割が果たせていたのではないかという、おぼろげながらの思いが残る。オオワシがいつも止まっている木の枝は一定しているということや、熊の糞はちょっと酸っぱいような匂いがすることの知識は体験をしたから得られた。しかし、それは子どもたちに伝わっている可能性はかなり少ない。
 世代が変わってくると、こうした知識はどんどん変わってくる。どんどん話が合わなくなってくる。しかも、その勢いはどんどん加速してくる。次から次に聴いたことのない言葉がどんどん出てくるわけで、言葉だけでも合わなくなる。体験も知識もどんどん合わなくなる。
 歳を取るということは当然のごとく自分の体験、知識の中で孤立していくということなのではないかな。

 ところで、池に泳いでいた金魚をパンを餌に釣ったのはこの私です。