ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

だまされるな

緑の会議の中村敦夫は落選したわけだが、彼は比例候補者の個人得票で21位(比
例当選者は48人)の20.4万票を獲得している。落選候補者の個人得票では俄然一
位である。当選候補者の仲で個人得票が最も少なかったのは公明党鰐淵洋子で、
僅か1.7万票である。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040715/mng_____tokuho__000.shtml
(実は私は今回の開票を見るまで、非拘束式を全く理解していなかった!)


これ、実に変である。
確かに党が勝手に決める順位は有権者にとっては党へ投票したものの、こいつはイ
ヤだけど、こいつにしてくれよ、という希望が反映できないという欠点はあった。
しかし、党名で投票しても良いし、個人名で投票しても良いけれど、実は党の中で
の順位は一人一人の得票数で決めるというのは、個人名投票の要素が充分に大きく
比例代表制というのは大いにはばかられると思うからである。そして、衆議院
全く変わらない選挙に結果的になっている事が、もうどこから始まったか全くわか
らないほど遙か昔からいわれている「参議院の存在意義がない」という議論につな
がる。


私は参議院をなくして一議院制にしろという主張には組みしない。
なぜなら、民主主義というものが多くの主張が議論を戦わせるところにその本質が
あるからである。
だから、衆議院参議院は全く異なる構成、あるいは党派が存在している事にその
大きな意味合いがあるはずである。しかし、
いったん権力を握ったものはその存在の盤石さを構成しようとはするが、その権力
基盤を揺るがせるかも知れない公正さは、必ず潰す。
この永年の自民党政権時代はこうして参議院を潰してきたわけだ。
いったん多数の力を得てしまえば後は守勢にどんどんまわり、一億くらいの金を平
気で使途不明にできちゃうわけである。


本来、こうした動きを牽制し、チェックを入れ、「オイオイ、そりゃおかしいじゃ
ねぇか」と文句をつけていくのが有権者であるべきではないのだろうか。
民主主義というのはそうしたフェアネスの上に成り立たなければ数をたのんだ専制
主義に堕す。

いっそのこと参議院は党派をすべて取り払った選挙にしたらどうなるのだろうか。