ほぼ足りてまだ欲 その先

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三宅久之ってなんだよ!

略歴によると74歳。毎日新聞政治部出身。
いつの頃からか、テレビ朝日の「TVタックル」に出てきて極端な意見を吐く役をやり始めていた。どちらかというと体制側の立場に立つ輩である。


その三宅が盟友と呼ばれて虎の威を借りる狐の役をやっている。その虎(○○つねともいうらしい)は1926年生まれですでに78歳。こっちは1952年から1972年までY売新聞で政治部とワシントン支局。45歳で内勤。こりゃまぁふつうだね。1991年に読売新聞の社長になってからすでに13年。
自民党安倍晋三の父親安倍晋太郎は1924年生まれで毎日新聞だけどやっぱり政治部出身だった。どうなのかわからないけれど、時期としてはラップしているはずだなぁと思う。
実は毎日新聞というのはいろいろな人を輩出している。経済部の出身ではあるが1942年生まれというのが慶応大出身の嶌信彦毎日新聞である。彼はワシントン支局勤務の時に(流行るな、ワシントン)戦後日本に駐留していた元軍人から、当時の日本で撮った写真を見せられ、その写真に写っている本人を見つけ出したという逸話を話していたのを想い出す。毎日新聞は一時期辛い状況に陥ったことがあり、多くの優秀な記者たちが外に出た。その中にはとてもユニークな、それでいてとても人間くさい人たちが少なくない。
そんな人たちを思い浮かべると、この三宅某というおっさんが何とも気に入らない。”毎日出身者にもあんなのがいるのかぁ・・”*1

*1:こうした人たちも・・『重村智計』早稲田大国際教授:元ソウル支局、『古森義久』1941年生、慶応大、ベトナム、ワシントン、1987年毎日退社。産経へ転職。いわゆる「新しい歴史」派。毎日出身では珍しい。『鳥越俊太郎』1940年生毎日新聞大阪本社社会部、東京本社社会部、テヘラン特派員、「サンデー毎日」編集長を経て、89年よりニュースキャスター。『内藤国夫』1937年生。学生運動を経験。毎日入社は丸山眞男の推薦であったという。1980年退社。創価学会を斬りまくった。1999年、62歳で逝去。