ほぼ足りてまだ欲 その先

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長浜事件

 国際結婚の難しさ、を考える。大半はうまくいっている。本当に多くの人はうまくいっている。これを国際結婚に特化して考えることは、多分間違っている。だけれども、国際結婚に対する理解という点はやっぱりいろいろな問題がある。彼女が何を憂いていたのだろうか、という点が重要かも知れない。私たちの国では、真剣に多文化、多民族の状況を真っ正面から見据える必要がある時期が来ていると思わされる。ひょっとしたら全く的をはずれているかも知れない。だけれどもいつまでも鎖国している場合ではないという気がしている。そうはいってもこの犯罪を許す理由には決してならない。
 こんな事例もある:自分の子どもは周りの子どもとうまくいっていないということはない。周りが「〜ちゃんのお母さんは日本語が分からないからしょうがないよ」というのを子どもたちが聴く。その子に「〜ちゃんのお母さん日本語わかんないんでしょ」という。その子はお母さんをかばうよりもお母さんのことがいやになっちゃう。「お母さんなんか嫌いだ」と思ったりいったりするようになっちゃう。お母さんは「この子がこんなことを云うのは周りが悪い!」と思い詰める。
 実は異文化におけるメンタル・ヘルスに関する問題点は非常に大きい。国際結婚によって移住した人たちだけではなくて、夫の赴任によって外国に暮らすことになる妻や家族にもこうした問題点はしばしば見られる。しかし日本にはこの種の専門家はそんなに多くない。「多文化間精神医学会」大正大学の野田文隆先生を理事長として現在の学会員数は約350名。その少なからずが文化と適応の問題に悩む「日本の各地に増えるインドシナ難民、中国帰国者、外国人花嫁、外国人労働者といった新しい人たち」に対応するために、現在学会では資格を作って約40名弱の多文化間精神保健専門アドバイザーを認定している。
 中国から帰ってこられた人たちが自らも、そして自分の子どもも適応するために最も必要となる言語の習得にすら悩み、国に支援を求める訴訟を起こしても、その苦境を認めながらもそれに対して賠償を請求することを許さない大阪地裁、東京地裁の棄却判決は記憶に新しい。帰還者支援センターでは帰国後わずかに三ヶ月間の支援があるに過ぎない。その支援を終えた後の彼らは自らが希望する土地で暮らすことすら許されていなかった。
 他国の対応策を引くと必ず出てくる反論は、そうした国は移民によって成り立っている国家だから当たり前で、わが2600年以上に亘り一民族で成り立ってきた我が国には必要としない、そのシステムが不備だというなら他に行けばいいというものが大勢を占める。しかし、もう既にそんなまよいごとをいって自己満足している事態は通り越している。長浜の例を引くまでもなく、日本各地には主にアジア地域出身の方で国際結婚をして暮らす人が次々に増えている。中でも中国出身者の増加は特徴的である。「日系人」の在留許可を得て労働者として入国してくる人々は引きも切らない。しかも、「日系人」という資格が今や商品となって取引されている実態すら存在する。 
 私が経験したオーストラリアの例を引くのは、国内に暮らす異文化出身者に全くの支援を前向きに取り組んでこなかった日本にとっては酷かも知れない。もちろん豪州でも1996年に労働党から保守連合が政権を取り返して以来、「小さい政府」という迷いごとに引っ張られてどんどんその明確な姿勢を消極的な姿勢に転換してきてはいる。しかし、多文化共生を合い言葉にシステムを構築し続けてきた基本的バックグラウンドはまだ存在しているといえるだろう。
 豪州連邦政府には移民多文化省という政府機関が存在する。各州政府には多くのmulti-cultureについて啓蒙する機関があり、健康・保健に携わる機関があり、そして移民に対する精神保健に傾注する機関が存在する。そして実際にソーシャル・ワークとして従事する機関があり、ワーカーがいる。各大学にはこの分野を専門とするコースがある。ステレオ・タイプ化する危険性があると専門家はいうけれど、一般の人々に対して、それぞれの文化を紹介する発行物やサイトも存在する。そこには「中国文化では食べ物を(冷)と(温)に分けて考えている。だからこんな時にはこんな食べ物をサービスする方がよい」という説明まであったりする。
 現在、戦後最長期間就任記録を更新中の保守連合政権のジョン・ハワード政権は、こうした多文化共生社会の構築には金がかかると、どんどん後退しつつあるのが現状である。労働党政権の頃は一時的居住者という扱いの外国からの赴任者に対してすら、医療費補助をし(もちろん徴税していたけれど)、言語クラスはほぼただだった。しかし、ハワード政権はこれを不要と考えているらしい。実はこれはあとからじわじわと効いてくるボデー・ブローとなるのは眼に見えている。今のわが国の状況を見れば明白だ。法務省が何時までもほおづえを付いて「わが国は外国人を受け入れるにはまだまだ早い」とうそぶいているうちにとんでもない状況が起きる。現状を真摯に見つめて、その受け入れのためのシステムを一日も早く公的に構築する必要がある。
 それとも私たちはここでも知らんぷりをしていくのだろうか。