ほぼ足りてまだ欲 その先

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訃報 アイバ戸栗死す!

 産経ウェブがこれだけをアップ。

東京ローズの日系女性が死去。アイバ・郁子・戸栗・ダキノさん。老衰のため、90歳。戦時中に対米宣伝放送を担当。

 「東京ローズの日系女性」とはなんたる表現か。マスコミともあろうものがこんな時代錯誤な表現をして平気でいられるとは・・・。とうとう亡くなってしまった。本当に気の毒なことをした。彼女の人生は本当にいったい何のためにあったというのだろうか。たまたま、おばさんをお見舞いにやってきたというのに、そこからこんなことに。あの戦争が彼女だけでなく、数え切れない人達の人生を有無を云わせずねじ曲げてきた。私たちはそんなことを正対して語ることもなく、聞くこともなく、ず〜っと斜めから見ながらもうここまでやってきてしまった。こんな長い時間、ずっと斜(しゃ)にものを見ながらやってきた。挙げ句の果てに、あれからもう60年も経っているからもう良いだろうという。そうだ、そうだ、というのは楽だ。もう良いんだ、と叫ぶのは楽だ。わぁ〜っとアドレナリンを放出してしまえば、そんなのはどこまでもいける。振り返りもせずに、もう見ないことになっていってしまいそうだ。
読売の第一報である

元「東京ローズ」の戸栗・ダキノさん、シカゴで死去:【ニューヨーク=大塚隆一】太平洋戦争時に日本が流した対米宣伝放送でアナウンサーを務め、米兵たちから「東京ローズ」の愛称で呼ばれたアイバ・戸栗(とぐり)・ダキノさんが脳卒中のため、米シカゴで26日死去した。90歳だった。日系2世として米カリフォルニア州に生まれた。開戦時に来日中で帰米が不可能になり、日本側が南太平洋戦線の米兵の戦意喪失を狙って流した英語のラジオ番組に出演した。戦後、戦犯容疑で巣鴨プリズンに一時収監。釈放後の1949年、米国で国家反逆罪で禁固刑を受け、6年間服役した。その後、判決を疑問視する声が高まり、77年、フォード大統領の恩赦で市民権を回復。晩年まで輸入品を扱う店の経営にかかわっていた。 「東京ローズ」は複数いたとも言われている。(2006年9月28日1時51分 読売新聞)

こちらは共同電で流れたものを元にした西日本新聞

東京ローズの日系女性死去 戦時中、米軍向け宣伝放送:写真:1945年9月、横浜で米国のジャーナリストのインタビューを受ける「東京ローズ」ことアイバ・戸栗・ダキノさん(AP=共同)*1AP通信によると、太平洋戦争時に日本が米軍向けに流していた宣伝放送のアナウンサーで、「東京ローズ」の名で知られた日系女性、アイバ・戸栗・ダキノさんが26日、老衰のため死去した。90歳。親族が明らかにした。1916年7月、日系米国人2世としてロサンゼルスで生まれた。太平洋戦争開戦時に日本にいる親族を訪れていたため帰国できなくなり、日本の宣伝放送のアナウンサーとなった。1949年、米国で反逆罪の判決を受け6年間収監されたが、判決を疑問視する声が高まり、1977年に当時のフォード大統領が恩赦を命じた。晩年はシカゴでひっそりと暮らしていたという。(共同)2006年09月27日21時57分

米国籍で国家反逆罪で刑に服した人間は彼女が最初ではなかったか。→ 多分「川北友彌」が戦後最初の米国国家反逆罪に処された日系米国人である*2
こちらはCNNウェブ日本語版である。

東京ローズ」のアイバ・戸栗・ダキノさんが死去:2006.09.27Web posted at: 20:24 JST- CNN/AP シカゴ――第二次大戦中、米国兵士に英語で日本の宣伝を語りかけるラジオのプロバガンダ放送のアナウンサー「東京ローズ」として勤めたとして戦後、反逆罪の罪に問われたアイバ・戸栗・ダキノさんが26日、死去した。90歳だった。自然死とみられる。AP通信が、遺族の話として報じた。米兵が「東京ローズ」と呼んだ人物は複数いたとみられているが、アイバさんは唯一の日系アメリカ人だったとされている*3。ただ、東京ローズの一人とする見方には異論もある。戦後、反逆罪で6年の刑を受け、市民権もはく奪されたが、1977年に当時のフォード大統領の恩赦で釈放された。日本人の移民を両親に1916年、米カリフォルニア州に生まれた。カリフォルニア大学を卒業後、親戚を訪ねて訪日中に戦争が勃発。米国への帰国を望んだもののかなわず、さまざまな職に就いた後、捕虜となっていた連合国軍の兵士と共にラジオのプロバガンダ放送に出演していた。敗戦直後、米当局は戦犯容疑でアイバさんを調べるが、証拠不十分で釈放。しかし、米世論の声を受ける形で司法省が捜査を新たに進めて反逆罪で逮捕され、1949年に禁固刑の判決を受けていた。釈放後は、シカゴの郊外で暮らしていた。

 死因は報道機関によってまちまちである。シカゴのお店は彼女の父親が始めた店である。
外国のマスコミはどうかというと、米国ではAPが配信をした記事がほとんどであるが、大変に多くの数の新聞テレビがこれを取り上げている。英国でも、豪州でも彼女の死を告げる記事は多くの名の知れた新聞がこれを取り上げている。それほど終戦近くの日本が放送していた対米放送は聞かれていたのだ、ということでもあるだろう。
 日本ではその後、ほとんど彼女について報じられることはなかった。彼女についての著作もかのノンフィクション作家であらせられる上坂冬子が書いているが、その前に書かれたドウス昌代の「東京ローズ」が本当に彼女に寄り添った視点で書き上げられていて秀作である。彼女がシカゴのお店にひっそりと暮らしてきた気持ちを本当に理解して書いてあるといっても良いのではないだろうか。私が知る限りでは東京ローズというキーワードにして書かれた著作はこの二作だけではなかったかと思う。太平洋戦争中の日本の対外放送についての勉強をそのうちにと思っていたが、考えてみれば一日ごとに、一時間ごとにどんどん証人が居なくなるのである。

*1:これは一番乗りを狙った米国人記者が寄ってたかった有名な写真である。

*2:彼の場合は戦時中日本にいる間に米国籍を放棄したにもかかわらず、戦後その事実に本人が頬っかむりをしてカリフォルニアに帰ったことがその原因を造ったといえないことはないが、それすらもあの戦争が造り出したことなのだというべきで、その点からいえばやはり彼もアイバ戸栗とともにあの戦争の複雑な影響を受けた人間というしかない。彼はその後恩赦で国外追放となり日本に帰国したはずである。

*3:他は日本人だった、という意味か。