ほぼ足りてまだ欲 その先

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堀越高等学校と学校法人堀越学園

 全く違うのだった。そうだったのかぁ。創造学園大附属高校というのはついこの前まで塚原青雲高等学校という名前でその前は塚原高等学校、創設時(昭和20年)は白菊高等洋裁学校だ。ここも元はといえば戦後の洋裁学校だ。あの当時は本当にたくさんの洋裁学校ができたんだよなぁ。なんで私が戦後は洋裁学校が、と何回も書くのかというと、当時横浜駅の西口には富士銀行と岩崎学園洋裁学校という建物しか見えなかった記憶があるからなのだろう。こちらのサイトを見せて頂くと、まさにそれを証明して下さる。余りよく見えないのだけれども、まさに私が小学校にはいるか入らないかの頃の写真が軒並み出てくる。名品街の写真の「スズキカメラ」は元々東横線の反町(今でもある)にお店があり、そこの息子は小学校で学年が一緒だったはずだ。あの洋裁学校は1927年に横浜洋裁専門女学院として創設されたとしてあるが、いまや横浜fカレッジなんて名前になっているし、情報セキュリティ大学院大学なんてのまで経営しているってんだから驚く。ま、白菊は要するに堀越学園っていう学校法人というグループを率いる「小池大哲」って人間に買い取られてしまったと云うことなんだろうな。と、ここまで想像していたらウィッキペディアを見てびっくり!「一時は音楽科を持ち、恵まれた環境で専門家育成に取り組むなどし全盛期には1500人の生徒を抱えるマンモス校だったが、2004年には全校生徒50人に減少。2005年、学校法人創造学園に経営譲渡。2007年4月から通信制課程を新設予定。」「平成16年夏に再び甲子園出場を果たす。この時は部員45人と前回より3倍近くに増えたが、全校生徒は50人、そのうち野球部員が45人という状態であった」 一体全体、何があったというのだろう。いろいろありそうなり・・。