ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

非効率のまま置いておけというんですか?

 フジテレビ「報道2001」に武部自民党衆議院議員と竹中慶應義塾大教授、原口民主党衆議院議員亀井亜紀子参議院議員が出席して議論。郵便局が非効率だったから民営化したというのが竹中教授の説明。となると地方の過疎地に於ける郵便事業サービスが明らかに低下していきつつある部分については多少の不便が生じたとしてもしかたがないということになるという野党の主張は的を射ているといわれてもしかたがない。
 現実的にJRが民営化された結果として数え切れないほどの地方の旧国鉄路線があれよあれよと廃棄されて車に頼る社会となった。JR各社の経営方針を見てくると新幹線優先、しかも高額商品となる高速サービス優先となって各駅停車の短縮化、減便、という状況を呈している。ひどいところでは新幹線が通じたら普通列車が廃棄されてしまった区間すらある。ニーズのあるところにサービスを提供するということはニーズのないところへのサービスを廃止するということを意味するし、それが利益を追求し再生産性の向上を目指す民間企業の宿命だ。その結果としてそれまで存在していた商店街は寂れ続けてきた。
 それは何をもたらしたのかといえば、大企業の繁栄の一方、自営業への圧迫となって現れてきた。地方の交通費は都会のそれに比べて比較にならないほどの金額ということになった。例えば地方に旅行に行くと民間企業のバス便は日に何本しか来ないが、その利用料は驚くほどだ。国鉄からJRへの民営化によって車社会が到来し、儲かるのは自動車メーカーであり、大型流通業である。その分人件費が削減され、税の負担が減少したけれどサービスがなくなった。これで国民ひとりひとりにとっていったい何が前進したのだろうか。同じように郵政民営化が実施されることによってそのサービスの範囲から明白に斬り捨てられてしまう人々が存在するということである。
 介護事業が2000年の福祉構造改革で民間に解放された時に民間は儲からないところのサービスを斬り捨てることになるぞという警鐘に厚労省は「やってみなければわからん」と言い張ってきた。しかし、蓋を開けてみると全国展開したコムスンはあっという間に不採算営業拠点を廃止してきた。今回の郵政民営化についてもなにかというと竹中教授は「民営化はまだ始まっていないのです」と繰り返した。そうして耳を貸さず、大企業に美味しいところをばらまく民営化を実施に踏み切らせる手口はもうそろそろ考え直しても良いだろう。「改革」という言葉は常に耳に心地よい。しかし、そうした言葉に隠して滑り込ませる一部の利益に利するやり方には見張り続けなくてはならないと思う。