ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

Into the wild

荒野へ (集英社文庫)

荒野へ (集英社文庫)

 もう半年ほど経ってすっかり忘れていた。Jon Krakauer著、佐宗 鈴夫訳の「Into the wild (邦題:荒野へ)」がショーン・ペンのシナリオとプロデュースで映画化がされているというのは聴いていたのだけれど、今年の9月に米国ではすでに公開されていたそうだ。町山智浩週刊現代にこの映画に関して書いたと自身のブログに書いている。
 半年前にこの本を読んだ時に、こうした考え方というよりも感じ方というのは随分昔に私の周りのあっちにもこっちにもごろごろしていたような気がして、何か懐かしさを感じる破滅的方向性の行き着く果てだったのではないかという感覚と共に、痛々しさと、すがすがしさが同居するという複雑さ(自分でも絡み合っていて良く交通整理されていない。多分これを巧く解きほぐすことができるのが、頭の良い、そして人に名前を知られる様になる人々なのだろう)のなかにある。
 多分それも米国から伝えられたものが始まりだった。ここにも何回か書いたことがあるのだけれど、僕らがまだまだ若くて血気盛んで、底なし沼のような推し量ることの出来ない、あるのかないのかわからない可能性、あるいは不可能性の中にいる自分が何ものなのか一向に見当がついていなかった頃、ジャック・ケルアックやら、時代は随分違うがヘンリー・D・ソロー、マーガレット&オラウス・ミューリーやら、ジョン・ミューアなんていうところをどれだったか想い出せないんだけれども、雑誌なんかで知らされて読みあさった時にぶるぶるっと震えた、あの感覚に彼は本当に動かされて北へ、北へと向かったんだろう。そこには「人間は生まれてきた時には何もなかったし、退場する時にも何も持って行けないんだ」という原則に貫かれている。ところが不思議なことにその間のほんの数十年にはあれも手中にしたいと思うし、これも掴んでおきたいのだ。多分彼はそれを徹底し、サイクルの再現性すらも無視しようとしたのではなかったのか。
 太った豚になるよりも痩せたオオカミでいたい、と強がりだったのか、負け惜しみだったのか、稚拙だったのか、単純だったのか、崇高だったのか、そう思った瞬間があったなぁ・・と眩しく想い出す。そんな時のまなじりを結した顔つきからもう何十年も経った。だらぁ〜んとした顔つきに、濁った眼で過ぎ去った日々を振り返るのも辛いなぁ。
 この映画は多分素晴らしい景色と共に考え込んで出てくることになるだろうと予測はつくがみたい映画だ。果たして日本で公開されるだろうか。日本の映画会社は興業会社ではなくて投資会社だから無理かなぁ・・・。
はじめてのシエラの夏 (アメリカン・ネーチャー・ライブラリー)

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森の生活 (講談社学術文庫)

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わが野性のワイオミング (アメリカン・ネーチャー・ライブラリー)

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