ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

杉並区立和田中学校の塾

 東京都教育委員会は異議を唱えていた和田中が計画中のSAPIX講師による「勉強のできる子」のための補習を一転して容認したために26日から実施されることになったと各紙、各放送が伝えている。
Asahi.com (2008年01月23日19時17分)によれば:

杉並区教育委員会は回答で、「保護者らでつくる『地域本部』の主催であり、学校の教育活動外の取り組み」であるとし、機会均等の確保については「既に全生徒を対象とした土曜日学校を実施している。費用負担が困難な世帯には軽減措置を講じる」と説明したという。希望したのに受講できない子が出た場合、区教委の井出隆安教育長は、全員の受け入れを求める考えを示した。
 民間企業である私塾が学校を利用することに対しては「公共性が認められる活動で営利性はない」、教材の内容選びに教員がかかわることには「塾が開発し、教員は連携しながら相談に応じる」ため、公務員の兼業兼職には当たらないと説明している。
 この回答に対して、都教委幹部は「公教育でなければ指導の範囲でない」との見解だ。また、「教育の機会均等が保たれる」と評価。教材を教員でなく私塾がつくる方針についても、懸念していた公務員の兼業にあたらないとしている。

つまり地域のコミュニティーが主宰するのと同じだという考えか。地元の児童の保護者たちが集まって塾を実施する、というのと同じ意味を持つということだろうか。教員は関与していないから公務員の兼業ではないとする。
 では、なぜ今こんなことをやらなくてはならないのだろうか。その辺に塾がないとでもいうのだろうか。SAPIXに限ってみると荻窪教室と明大前教室のそれぞれからは東京都杉並区和田2-21-8の和田中学校は遠い。勿論本人にモチベーションがあって親に財政的余裕がある場合はそんなことはもうとっくにやっているんだろう。学校の教員が何も絡まないのであれば学校をつかってやる必要があるだろうか。これはこれで良いじゃないかとするのであれば、なぜこの中学校や杉並教育委員会は今現在中学の進度から遅れてしまった、落ちこぼれそうだという生徒のための補習塾を開校するといわないのか。明らかにこの区立中学校卒業生の高校への進学率を上げるための企画ではないのだろうか。進学熱をコマーシャリズムに利用させないという革新的な考えかといえばなんらそんな要素もなさそうである。だったら学校自体がすべきは塾がなくてもそれに応えるだけのレベルの向上を図る手だてを自ら打つというものであるべきではないか。以前にも書いたように、これは公立中学校がやるべきことをできないと自ら認めている結果だといえる。
 東京都教育委員会が、そして各区の教育委員会がうつべきはより落ちこぼれる子どもの解消に努めるという努力だ。
 まさか、○太郎がただひと言「良いんじゃないですか」なんぞと軽々に発言したことだけで都の教育委員会がころりと態度をひっくり返したのではないのか。もともと彼らは都知事の言いなりになってきたから容易にそう想像せざるを得ない。
 進学率を高めることが公立中学の人気を高める手段だとこの中学の校長が思っているのだとしたら、彼は私立中学の校長とその立場を間違えている。私立であるならばそういう姑息な、教育哲学を持たない、どんな手を使ってでも、ワッショイワッショイで作られた企業からの出身者がその勢いで経営するんでも良いだろう。しかし、公立中学の校長が私立の学校の理事長的価値判断で教育を語るのは正しいとは思えない。
 公立中学から公立高校、公立・国立大学への進学が私立中学卒業生に比べて優先的な立場に置かれる、という制度はどうだろうか。この国のことだからそうしたらコロッと価値観は変わるのではないのか。受験勉強技術に長けている生徒が優先的に合格するというシステムだからこそ私立に生徒は流れ、公立の学校がこんな姑息な手段を弄しようとするのではないのか。
 1月29日付朝日新聞の第2東京面に都知事の1月25日の記者会見の模様が掲載されている。この際残しておく。

ー学校と塾の連繋の背景には学校教育の劣化があるか。
「まさにそうじゃないですか。この頃の先生見たって、実に拙劣だし教え方は下手くそだし。黒板ばっかり見て生徒の顔を見られない教師までいるんだから。教師ののものの能力も落ちてるしね。かといって親がうちで宿題を手伝うほど、お父さん、お母さん、余裕があるかどうか知りませんが、お父さん、お母さんの水準だって落ちてるしね。子どもはたまったもんじゃないと思うよ、これは本当に。」
ー今後連繋は増えていくか。
「効果があったら日本じゅう普遍していくんじゃないの。ということはやっぱり学校というものの沽券から考えれば情けない話だよね、これは本当に。しかも、この頃ワイルドペアレントも出てきたり、授業の最中でも子どもをしかると何かひんしゅくを買ったりだね。もうリタイアした私の友人がね、商社の社長をしたりメーカーの重役をやってたような連中が生きた英語を使ってるから、ただで教えますと言ったら、地元の中学へ行ったら感謝されたけど、最初の日、校長が何を言ったかというと、『どうか授業中、生徒をしからないでください』。こんなものでね、教育なんてできるわけねえよ本当に。校長そのものがどうかしてるよ」

 彼の持論は都内の公立学校には教育における能力がないということのようだ。だからさまざまな処分をしていくということに繋がると言うことか。それではどの様にこの教育機関を建て直していくのかというビジョンがない。塾が学校に取って代わってもしょうがないじゃないかという見解のようではある。多分彼の頭の中は学校の先生が日教組に犯されているんだという固定観念に固まっていると言うことではないか。
 今一番必要なことはこの少子化の中で教員のやらなくてはならないことの見直しと教育現場の根本的なシステムの見直しなんだろうと思う。場当たり的に営利企業に公的教育機関の現場を明け渡すことではないはずだ。ついていくことのできない子どもを切り捨てていくことではないはずだ。できる子どもだけを優遇することではないはずだ。教育をないがしろにして国の将来があるとはとても思えない。