ほぼ足りてまだ欲 その先

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不自然、これがなんともいえない

まず最初にお断りをするけれど、私は臍が曲がっている。
 近頃、水谷豊という男優の映画が大ヒットだということだそうで、昨日の奥様方をターゲットにしたテレビのワイドショー(時間がワイドな設定だということだけね)ではあっちでもこっちでも日曜日に彼が川崎のショッピングセンターに1万人のファンを集めて唄ったという話だった。ファンたってどうせそこに暇を持て余してやってきた通りすがりのおじさんたちまで勘定しているんだということが重要だ。彼の話っぷりが堪らなく良いのかも知れないけれど、あんなしゃべり方の人が普通にその辺にいたらこれはとても異様で、わざとらしくてハナについて堪らない。しかし、このタイプの俳優というのは昔からわざとらしいに決まっているものであって、普通のその辺に歩いている人と変わらない動作、言葉だったらだれも振り返ってくれないんだろう。松田優作が死んでからそろそろ20年になろうとしているけれど、画面の中に見る彼もなかなか立派にわざとらしくてそこがきっと日常に誰もそんなことをできる訳がないのだから、良いのだろう。この線を辿ると火野正平やら田中邦衛やらといったところが繋がってくる。最近映画が再上映されて人気が高まってきているショーケンもそんな一人に私は数えていたのだけれど、どうやら彼はそう演じているのではなくて、演じているうちにどんどん自分がそうなってきてしまったのではないかという気になってきた。役者は派手でわざとっぽく、そしてそれを使いこなすディレクションに恵まれないとダメだな。そうは思いながらも実は私はこのわざとらしさが大っきらいだ。そしてある瞬間自分がこれと似た様なわざとらしさを発揮している瞬間があることに気がついて、次の日にそれに思い至って大いにそれを恥じてガックリ来てしまうのである。ひょっとしてショーケンもそんな思いに至ってしまう時があるのではないか。そうなるとその自分が引き起こした波紋に耐えられなくなって、やらなくても良いのにそれを紛らす方法を試行錯誤してしまうのではないだろうか。