ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

 一昨日本屋にまた行った。先日気がついた本をどうしても見てみたいと思ったからであり、それは朝日文庫の「東京裁判 上・下」(朝日新聞東京裁判記者団 朝日新聞社 1995-07)である。これは1983年に単行本として出版されたものの文庫化であるが、そのまた底本は1962年に東京裁判刊行会から刊行された「東京裁判 上・中・下」のようである。なにしろこれは膨大な量で、どこかで一度だけ見たことがある。この文庫本の表紙を見てどこかで見たような気がするのだけれど、それが思い出せない。この文庫が出版されたときに日本にいなかったので知らなかったものだと思う。国立国会図書館の日本占領期資料には「朝日新聞社(法廷記者団)が1947年頃から極東国際軍事裁判の取材の過程で収集した資料をその後、同社において詳細な検索目録も作成して、整理・編集したもの」が所蔵されているそうだ。
 「東京裁判」にかかわる書籍はもうむちゃくちゃな量が出版されているので全部を見るのは私にとっては無理だろう。「事後法で勝者が敗者を裁くのは間違っており、従ってすべてに意味がない」といっているであろう書籍は最初から外してしまう。時間の無駄だからである。
 先月出た保阪正康の「東京裁判の教訓(朝日新書)」に登場する文献が、事実を事実として捉え、余計な感情を挟まずに分析するために最低限必要なものだとして捉えればよいのだろうと思う。
 従って上記文庫を含めてまず下記を再読していこうと思う。

  1. 東京裁判 上・下」児島襄 中公新書 1971
  2. 東京裁判への道 上・下」粟屋憲太郎 新潮選書メチェ
  3. 東京裁判」日暮吉延 講談社現代新書 2008:本当は日暮の「東京裁判の国際関係:国際政治における権力と規範」(木鐸社 2002)を通読しなくちゃならないのだろうけれど、708頁 10,500円はさすがに入手できなさそう。図書館でどれだけ見られるだろうか。持って歩くのも大変そうである。「前向きでない」と叱責を浴びそうだ。
  4. 「国際シンポジウム 東京裁判を問う」細谷千博、安藤仁介、大沼保昭 講談社学術文庫 1989(残念ながら版元在庫なし。1984年刊行本の文庫化):これは1983年5月に開かれたシンポジウムの記録である。これにはオランダのレーリンク元判事も出席している。
  5. 「DVD 東京裁判キングレコード:昨年TSUTAYAでレンタルした。ウェッブ裁判長のかすれた判決の声が耳に残る。
  6. 雑誌「現代思想」2007年8月号は特集が「東京裁判とは何か」で、成田龍一が粟屋憲太郎にインタビューしている。

 保坂のいうようにこの裁判の経過をつぶさに見ていくと私が暮らすこの国の昭和前期について様々な資料が提供されていることを見ることができるところに大いに意味がある。
 それにしても「「勝者の裁き」に向きあって : 東京裁判をよみなおす」牛村圭 ちくま新書 2004がすでに版元在庫なし状態のままだったとは油断していた。(追記:090118 後日書棚を整理してみると、やや、あるではないか。重光葵を通してみる東京裁判、といっても良いのだろうか。)

  • 「日本人はなぜ謝りつづけるのか 日英(戦後和解)の失敗に学ぶ」中尾知代 NHK出版 生活人新書 2008.08:最初にこの本を見たときには「もう日本は謝ったりしなくてもいいじゃないかっ!」と啖呵を切っているのかと思って手に取りもしなかった。巻頭の部分を読んでそうではなさそうだと思った。そして戦後50周年に英国にいたことから発想が始まるところが私が同年に豪州にいて感じたことにオーヴァーラップすることから持って帰ってきた。