ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

それは体罰か、そうでないか

 今日はいくつも裁判があったのだそうで時効になった殺人事件で民事の損害賠償訴訟は被害者遺族が勝った。しかし、彼は4200万円の損害賠償を払えるのだろうか。ま、それには関係なく罰されたのは当然といえる。
 歯医者の兄が妹を殺した事件は兄の責任能力は充分にあったという判断がされて懲役12年の判決だった。

 もうひとつは天草市で2002年、男性教師が当時小学2年生だった男子児童の胸をつかんで叱ったことが体罰にあたるかどうかが争われた裁判である。1・2審では「体罰だ」という判決が出ていたもの。最高裁では逆転して「目的、態様、継続時間などから判断」して1・2審判決を破棄し、原告側の請求を棄却した。
 どんなケースなのか知らなかった。

 2002年11月26日、休み時間に当時小学校2年生の男子児童が二人で通りかかった6年生の女子児童3-4人を蹴った。そこに通りかかった教師が二人の2年男子に注意した。もう一人の2年男子はいってしまったが、当該の2年男子は去っていく教師の後ろから二度蹴った。そこでその教師が胸を掴んで押しつけ、「もうするんじゃないぞ!」と大声を出した。(TBSテレビ「総力報道!THE NEWS」から再現)

 この説明を聞いていて、このどこが「体罰」なのか私には理解できなかった。なんでこんな事が最高裁にまで持ち込まれるのかもわからなかった。
 ここからは私の推測:
 小2年くらいの子どもはすぐに調子に乗る。調子に乗って通りかかったお姉さんにちょっかいを出したら「止めてよ!」といわれてますます調子に乗る。ただちょっとふざけただけだけれど、このリアクションが面白い。本人は面白いという認識もないけれど。そこに絶対的な権威が登場しちゃった。なんだよ、威張りやがってという感情もまだその状況の重大さ、権威たる教師の真剣さに気がついていない。あたかも「あっかんべー」をするような感覚で後ろから蹴った。多分、彼の生活環境ではそれくらいのことをしたって「ふざけんな!」と諫める大人はいないんだろう。すると真剣な教師に逆襲を食らってショックを受ける。
 ところで胸を捕まれて押しつけられ、「もうするんじゃないぞ!」と叱られたことを親はどうやって知ったんだろうか。
 これが体罰だと認識されるのだとすると、小学校の教師は児童の身体に一切触れることはできない、というのが今の教育現場のあり方なのだろうか。口で論理的に説明して納得するように根気強くやりなさい、ということなのだろうか。今の小学校の先生は本当に大変なんだなぁとため息が出る。
 毎日新聞にはこんなコメントが掲載されている。

堀尾輝久・東京大名誉教授(教育法学)の話


 児童の胸ぐらをつかむ行為は肉体的苦痛や強い恐怖心を与えるもので、指導ではなく体罰に当たるのではないか。最高裁判決は下級審の判断を覆すだけの新しい根拠を示しておらず、子どもの権利についても言及せず、説明不足の印象を受ける。判決で教育的裁量の範囲が過度に広く容認される方向に拍車がかからないよう望む。教師はまず第一に子どもとの信頼関係の構築を心がけるべきで、「体罰基準」の解釈にとらわれ過ぎるべきではない。(毎日新聞 2009年4月28日 15時51分)

 そうか・・信頼関係を築くところから始めよ、ということになるのか。この場合はどうするべきだったのだろうか、とても悩ましい状況だ。

 読売によると
 「男児はその後、夜中に泣き叫ぶようになり、食欲も低下した」と訴えられていたのだそうだ。読売はその後の記事でこんな事も書いている。

 男児の母親は教師を刑事告訴しており、判決も「男児の母親が長期にわたり、学校関係者に対して極めて激しい抗議行動を続けた」と言及、訴訟の背景に保護者の過剰なクレームがあったことを示唆した。同じようなケースが起きた時、「力の行使」が妥当なものだったか学校側が説明を尽くすとともに、保護者側も冷静に耳を傾ける姿勢が求められている。(足立大)(2009年4月28日14時48分 読売新聞)

 なんだかもっと冷静になるべきだという意見記事のようだ。

 では東京新聞はどのように伝えているかというと

原告側は講師に怒鳴られた後、男児が夜中に泣き叫んだり、一人で寝られなくなり、2003年2月に心的外傷後ストレス障害PTSD)と診断されたと主張した。
 一審熊本地裁は、体罰PTSDの因果関係を認めて市に約65万円の賠償を命じた。二審福岡高裁は講師による体罰は認めたが、「PTSDとなった証拠は認められない」として一審判決を破棄、市に約21万円の賠償を命じた。(東京新聞2009年4月28日 夕刊)

 PTSDの診断が下されていたというのは知らなかった。二審が体罰PTSDとの関連性について認めなかった理由はなんだろうか。そして一審が認めた根拠とはなんだったのだろうか。

 共同通信の配信でもうひとつ事実がわかった。

 少年は、しゃがんで別の児童をなだめていた講師におおいかぶさるなどし、通り掛かった女子児童をけるという悪ふざけをした。(共同通信2009/04/28 15:25)

 小2の男子はこの教師にまとわりついていたことがわかる。他の子どもに関わっているときに邪魔になっていたのではないか。それでも小2男子はきっと大人で遊んでくれる人が好きだったに違いない。私の経験からいうと日頃から大人にちょっかいを出して気を引きたい子どもは必ずいる。そして気を引きすぎて叱られる、そんなところには良く遭遇したものだ。

 こちらの書き込みを見ると小2男子の保護者の訴えは様相が違っている。

 被害児童側によると、「別の児童が男性講師や別の教師から激しく怒られていたのを見て、かわいそうに思って止めに入ったところを突き飛ばされて転倒した。その後さらに胸ぐらをつかまれるなどした」としている。一方で学校側は、「被害児童が別の児童を蹴ったことを、加害講師が注意した。その際に講師は被害児童から蹴られ、その直後に講師が児童の胸ぐらをつかんだ」としている。

 これを読むと話は違ってくる。この訴えの事実は事実として認められなかったということなのだろうか。

 地元の熊本日々新聞はこんなコメントを掲載。

 天草市の岡部紀夫教育長は「判決文は見ていないが、体罰ではなく教育的指導の範囲であるという市の主張が認められたのであれば意義ある判決」とした上で、「体罰は絶対にあってはならないと、これまでも指導してきた。各学校で原点に返って体罰について考える機会にしたい」と述べた。(くまにちコム2009年04月28日)

 ブログにも数多く取り上げられていて、事実確認で誤ってしまっている人もいるけれど、賛否両論といっても良い状況だろうか。
 上記の新聞記事から判断するとこの一件はどう考えても問題になる叱責ではないだろう。親の様子を見てみないとわからないけれど、あんまり尋常な話ではなさそうだ。