ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

特別なお知り合い、特別な待遇

 はなはだ残念なことに私には有名人のお知り合いだとか友人だとかいう人たちに知り合いはそんなにいない。私の周りは本当に平凡な普通の人生を送っている人たちばかりである。中にはそんな生活もちょっとつらいのんねぇ、という人たちだっているけれど。
 現役バリバリの頃に足繁く通っていたバーがある。今では2-3ヶ月に一度しか顔を出すこともない。それでも元気に開いているのがうれしい。それが住所でいうと銀座だけれど、泰明小学校の前の路地、随分変わってしまったけれど、それでもまだ昭和40年代の雰囲気が残っている一角にあるジャズのレコードでJBLを鳴らしている「Jazz Country」というお店である。蕎麦の、というか、あれだけメニューの短冊が貼ってあるけれど、それ以外もたくさんありの「泰明庵」や中華の「東生園」(考えてみると焼き肉屋のような名前だ)なんてのは随分昔からある。
 ここのバーで何回か会ううちに知り合いになった人たちはそれこそたくさんいて、その人たちの中から一般に知られるようになった人はいくらもいるし、その人たちは今でもここでばったり会えば、「やぁ、元気?」という話はする。するけれど、だからといって日頃電話で連絡を取り合って一緒に呑もうなんてことはしたことがない。ところが長年生きてくると面白いもので、とんでもないところで、そうした人とばったりであったりするのである。それでもそれっきりであえて連絡を取ったりしない。
 ところが世の中にはそうした人との繋がりをどんどん広げていける人というのは存在する。あれよあれよと今度はこんな業界ではこんなに功成り名を遂げている人と知り合ったんだと聴かせてくれる。聴いてみるとやっぱり大変に積極的に人に紹介を頼み、出かけていってどんどん顔を売る。するとまたそこから先に伸びるてぇ奴だ。現実に自分の生活にプラスになるんだろうからがんばれる訳で、そうした人というのはそうやって努力をしているのである。だから、私のように人様に接するのにしても会えばわんわんと楽しい時間を過ごすけれど、あとはボォ〜っと過ごしているような奴はそんなことに及ぶ訳がない。
 それとこれとは一緒にはならないかもしれないけれど、自分が十分に遇せられなくてはどうしても我慢のならない人というのも存在する。そういう人にとっては万人監視の中で、あぁあの人は特別なんだなと思われるような遇され方がされないと我慢ができない。だから、多くの人たちと一緒に列を作って並んでいるという自分に我慢ができなかったりする。そういう考えを持っている人は他人を特別扱いすることによって他人は喜ぶものだと思い込んでいたりする。
 先日、とある施設で申し込みの支払いをした。窓口が三つあって真ん中の人が開いていた。本当は順番札を引いて待つのだけれど、待つ必要がなかったし、その係りの人と目が合ったので、そのままカードを出して手続きをお願いした。すると、右隣にいた50代の女性が突然「一体全体どれだけ時間がかかるっていうの!」と声を荒げた。挙げ句にあろう事か私の手続きをしている女性に対して「あなたも隣にいてこの人がうまくできないんだったら次のお客なんか相手にしないで、こっちを手伝いなさいよっ!」と怒鳴るのである。おいおい、ちょっと待てよ、俺の手続きをしているってんだぞ。20分も30分もでれでれやっているっていうんならまだしも、10分やそこらでワァワァいうんである。しかもその癇癪が尋常ならざる雰囲気だ。年寄りは待てないというけれど、年寄りというほどの歳でもないじゃないか。
 だから逆に「あなたは特別に選ばれました!」というような飾り文句に簡単にだまされてねずみ講まがいの詐欺に(あぁ、ねずみ講も紛うことなき詐欺か)簡単に引っかかっちゃう。かつての豊田商事金塊詐欺なんて典型だ。金を出しさえすれば特別な扱いは買うことができるけれど、大した金を出さなくても特別扱いしてもらえるというのは眉に唾つけるしかないんだよね。
 その証拠にテレビの中で「セレブ」とかっていわれているのはほとんど訳のわからん手だてで金を手にした奴のことと同義にちがいない。大体まともな仕事をしていたら驚くほどの金を手にすることなんてできる訳がない。みんなろくでもない方法で集めた金だ。
 金のない私は地道に埋もれて暮らしていきやしょう。え?金のない奴のひがみだって・・・?あたり。