ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

渡辺勝

 先日実行された集合住宅の塗装メンテナンスの確認会がある。

 その後、40年前のサークル仲間のワンマンコンサートがあって、久しぶりに吉祥寺に行く。ちょうど10年ほど前、武蔵境に毎日行っていたものだからその帰りに友達と連れだって吉祥寺の駅の周りで呑んだりしたこともあった。
 しかし、死んだ高田渡がほぼ毎日顔を出したと云われる焼き鳥の伊勢屋には一度も行ったことがない。高田渡の死後は毎年武蔵野公会堂で彼を偲ぶ人たちが集まってコンサートが開かれているらしい。
 今日コンサートを開く渡辺勝はその高田渡とも親交があったという。彼と同じようにそのサークルにいた男が三鷹の辺で地域コミュニティーに活躍しているらしいのだけれど、メールを送ってもレスポンスがない。多分、当時のことを思い出したくないのだろう。当時の人たちと与したくない、という男は他にもいるもの。
 しかし、40年になんなんとするこの長きにわたり自らを貫き通す男の人生は、本人がどう思っているのか知らないが、揺るがぬ心を感じる。ちょっと羨ましく、ちょっと後ろめたい。

 久しぶりに吉祥寺まで出かけて本当に良かった。40年ぶりに出会う奴が何人もいる。あいつも、こいつも、あれ?あそこにいるあの人はあの伝説のあの歌い手ではないか、という人までいる。
 武蔵野公会堂は狭い。はっきり言って固定席で350席しかない。しかし、はっきり言っておこう、立ち見まで出ちゃうくらいだった。奴の集大成だったのかも知れない。私がずいぶん昔から耳になじんでいた2曲目の唄の作曲者も来ていたが奴に逢うのも40年ぶりだ。全然変わっていない。アコーディオンの竹田裕美子に会ったのも多分40年ぶりだ。共通の知人の話で盛り上がった。今日の話の具合ではどうやら11月には彼女のステージを見られそうだ。渡辺勝の雰囲気ももちろん良かったけれど、その周りの人の集まり方も実に良かった。打ち上げにまで押しかけて呑み、且つ喋った。あぁ、生きてて良かった。涙ちょちょぎれるのだ。
 そんなに遅くなって打ち上げを辞してきたわけではないのだけれど、われわれが乗った東京行きはそもそもなかなか来なかったくせに新宿で遅れている京王線を待つといって10分以上も停まっていて、えらく時間がかかった。そのおかげで久しぶりに出会ったメンバーでの話に花が咲いた。そういえば最近はどこの居酒屋に入っても必ずアラ還の爺さんたちのグループに遭遇する。
 追記:高田渡が病床でカソリックの洗礼を受けた、というのは本当なのか?