ほぼ足りてまだ欲 その先

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亀井静香の暴論・・なれど

 亀井静香が10月5日の講演会で「日本で家族間の殺人事件が増えているのは、(大企業が)日本型経営を捨てて、人間を人間として扱わなくなったからだ」と述べ、日本経団連御手洗冨士夫会長に「そのことに責任を感じなさい」と言ったというエピソードを紹介した(毎日新聞・井出晋平・2009年10月6日 東京朝刊)と伝えられた話はかなり様々なところで反響を巻き起こしている。そもそも彼の話はかなりな部分エヴィデンス・ベイストな話ではないから、まともに聴いてはもらえなくて、簡単に却下方向に持って行かれてしまう。この話だって、殺人事件自体が増加しているというデーターはない。減少している中で家族間殺人事件の割合がどうなのかという点は私も検証していないから亀井と五十歩百歩ではあるけれど。
 しかし、彼がその後語っているように、かつての日本の企業のあり方が渋沢栄一に見るように江戸時代の大店の大旦那が雇い人、あるいは出入りの職人たちに示した気配りを継承していたであろうことは多く伝えられていることでもある。尤も彼等の時期には労働に対しての報酬配分は今に比べたらどうだろうか。格差は大変に大きかっただろうし、今の中国に見るような状態だったのではないか。
 しかし、この10-15年間に企業の姿勢は遙かに労働者をないがしろにする方向に走り続けてきた。その集大成をなしたのは今更いうまでもなく小泉-竹中政策だった。企業にとっては景気の変動に逢わせて労働力を自由自在に調整することのできる米国流雇用形態は永年の夢だった。いつでも、自由に経費を調整できないのは日本の終身雇用が弊害と成っているからで、これを成果主義にして年功序列にしてどんどん崩していき、最後には最低限抱えなくてはならない労働者数にして後は労働市場から自由に調達できるシステムにしたいとしてきた。
 経団連にとっては永年の願望だったし、そのお先棒を担いできたという点ではリクルートの役割は大きかった。そうした市場を先取りし、そのためには自民党の涎を垂らした政治家に給餌もした。
 終身雇用制度は不当なシステムで、君たちは何もしない年長労働者に搾取されているというキャンペーンは若手には受けた。濡れ鼠色のダークスーツを着てもぞもぞしている風采のあがらない終身雇用労働者をジーパンとノーネクタイで凌駕しようという風潮はあの辺から盛り上がってきた。どうも私も乗せられたような気がする。リクルートの江副は国民社会の視線のそらせ方はうまい。
 それにしても、経団連は今後のあり方としてどのような手を打とうと考えているのだろうか。なにしろ今度の連立政権はこれまでの自民党のような経団連べったり政権とはなり得ない。どう考えても早晩労働者派遣法の(本来の意味での)改正案が出されてくるだろう。やっぱり「そんなことしたら外国に出て行っちゃうぞ」キャンペーンを張るというのだろうか。そうした時市場はどう反応するのだろうか。