昨日でイランのアメリカ大使館が占拠されてから30年が経ったのだそうだ。もう、そんなに経っていたのかと、これはちょっと驚く。私の30代の知人の一人は親が当時イランにいて、ほうほうの体で逃げ帰ってきたことを覚えているという。
アメリカ軍はヘリで侵入して救出しようとして失敗した。確かこの話を月刊プレイボーイ日本版で読んだような気がする。
私は年末に出発する2ヶ月半の短期留学の最終面接の時に面接官から「イラン事件をどう見るか」と聞かれて、「短期間のうちに事件は終結を向かえるだろう」だなんてまったくの話ノー天気な返答をしてあとでとんだ赤っ恥を搔いたものだ。米国大使館はあの事件からなんと444日間も占拠され、イランはとうとうイスラム原理主義の体制に移っていった。あそこから既に今のイスラム原理主義者の「テロ」といわれる西欧優位主義に対する抵抗が始まったといっても良いだろう。それまではユダヤ教とイスラム教の殴り合いに過ぎなかったような気がする。
しかし、そこからは多くの原油を掴むイスラム諸国によるまさにリベンジとなってきたという印象が強い。翌年私は北アフリカのイスラム国家で仕事をしたのだけれど、現地の雰囲気はまさに「これまではあいつらに良いようにやられてきたけれど、これからは違うんだぞ、そうそう、お前たちもあいつらの一派だったな?」という扱いだった。泣く子と地頭には勝てない、そのものだった。
彼等は彼等のルールにみんな従えと主張していたけれど、それまで受けてきた理不尽さから比べればこれくらいは当たり前だろうと国民を鼓舞していた。私は帰国してから変な偏った感情を持つきっかけにあれがなったような気がする。理不尽で当たり前、なんだか無理篇にげんこつと書くといわれる角界の理不尽さが当たり前であるかのような雰囲気を味わった。
日本人は物わかりがよい。紳士である。遠慮というものを知っている。先を読むことができる。とまぁ、こんなことをいうと非常にレイシスト的であるけれど、この辺の自己主張が根本的にいい加減なといった違いが日本を大変にしっとりとした、温暖湿潤気候にしていて快適なんだけれど、どっぷり暮らしていると逆にそれが面倒くさい。
あれからもう30年も経ってしまったのかと思うと人間なんて簡単なものだ。