オリンピック招致用プレゼンフィルムの制作費が5億円だったという話は何回も書いた。制作はもちろん「オリンピックだったら電通」が請け負った。とはいえ、もちろん電通プロパーの人間が担当したわけではないだろう。
不良小説の作家でもある都知事は「私は再三、注文して(映像を)直した。直した分だけお金がかかったというのは通らない理屈だ」と主張。「(費用の理由を)これからいちいち検証していく」と述べたと12月12日の朝日新聞が書いている。
映像センスが誰よりも優れているとは誰もが思えないようなお前が余計なことをいうから高く付くんだっての。編集し直すとしたらまた編集室を使って作業しなくちゃいけない。それが取ってあった映像をやりとりすることで終わるならまだしも、そうでなかったとしたらまた素材をつくるところからやらなくてはならないはずだ、なんてことをねながら考えているうちに昔のいやなことを想い出した。
まだ、デジタル編集なんかにならない頃のことだからもうずいぶん昔なんだけれど、CGの担当に相当無理をいって徹夜で素材を作ってもらったあるセールス・プロモーション・ビデオの最終編集をやっているところに、キックオフ・ミーティングからそれまで一度も顔を出したこともない担当セクションの親分というのが突然やってきた。実はその人を私は知っていた。知っていたというか、死んだ義理の兄貴の友達だということだった。いやぁ〜な気持ちがした。いつもいつも自分はなんでも分かっているんだという過信家の典型だからだ。彼が来たのはナレーション取りが1/3ほど進んでいるところだった。
しばらく見ていたなぁと思ったら突然「オイ、ここにはビールはねぇのか?」という。私は時間で切って使っている場所にその類を持ち込むのは大ッ嫌いだ。だからないというと、じゃ誰か買ってこいという。時間がもったいないから先にいきたいといった。そうしたら腹を立てたのか、ナレーターに対して「あんたにはこの製品を売ろうという迫力がない!」とケチをつけ始めた。
製品の営業担当者にナレーション原稿も見せ、コンセプトも説明し、最終の姿を口が酸っぱくなるほど説明し、最終了解を取ったのにもかかわらずこれだ。
いや、そんなことが起きるのはこんなプロモーション・ツールを使い慣れていない業界なんだからしょうがないといえばしょうがないのだけれど、そうしたプロセスを説明できない担当部署にも大きな問題があった。
私は都知事のこの記事を読んだ時に、こいつを思い出した。いるんだ、こういう奴。はっきりいって過信家だろ、こいつも。