ほぼ足りてまだ欲 その先

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ヴィクトル・スタルヒン

 NHK BS-hiでプレミアム8「野球がパスポートだった〜ヴィクトル・スタルヒン」を見る。スタルヒンといえば私のイメージは巨人。沢村と並ぶ巨人のエースだったという話を聞いていた。しかし、実際に私が見たスタルヒン高橋ユニオンズスタルヒンでしかない。あれだけ日本のプロ野球史の中で巨人というイメージの濃いスタルヒンがなんで高橋ユニオンズ、若しくはトンボ・ユニオンズなんかで投げていたのか、よく知らなかった。多分、落ち目になって拾ってくれたのがあの弱小チームだったんだろうと思っていた。
 しかし、無国籍のスタルヒンが戦時中に徹底的に敵性外国人として冷たい仕打ちを受け続けていたこともよく知らなかったし(なにしろ彼は白系ロシア人難民の子供だ)、戦中に彼が巨人から排斥され(要するに邪魔者の排除だ)たことから戦後巨人への復帰を拒絶した結果だとも知らなかった。
 戦中も戦後も讀賣巨人軍というのは傲慢というバットをいつまでも振り回している球団なんだと知った(もちろんアンチ巨人の血がたぎる)。
 私は小学生の時に川崎球場スタルヒンを見ている。スタルヒンは1955年のシーズンだけしか存在しなかったトンボ・ユニオンズで300勝目を記録している。私が見たのはこの年だったかもしれない。というのはトンボというチーム名を明確に記憶しているからだ。多分この時の川崎球場の試合の対戦相手は西鉄ライオンズだったのではないだろうか。当時私は(理由を殆ど覚えていないのだけれど)セントラル・リーグ阪神タイガースパシフィック・リーグ西鉄ライオンズのファンだった。幼心にも「高橋トンボ」とは何とも変な名前だなぁと思ったのだけれど、記録を見ると高橋ユニオンズトンボ鉛筆が出資したために正式名は「高橋トンボ・ユニオンズ」という名前だったのだそうだ。この年私は小学校2年生だ。
 戦争末期に彼は軽井沢で暮らしている。当時の軽井沢は日本に滞留した外国人が集まった(集められた)街となっていた。
 引退後ヴィクトル・スタルヒンはわずか2年後に車を運転中、R246で玉電と衝突して死亡している。大変に大きな記事になったはずだけれど、私は殆ど記憶をしていない。
 金田正一が出てきて一つだけスタルヒンの記録を破れなかったものが生涯完封数83というのがあるという。金田の記録は82だそうだ。金田が言うようにこの記録については殆ど語られることはない。今のようなシステムになると今後この記録が破られることはないだろう。