昨年の夏の選挙で自民党がぼろぼろに負けた結果できた民主党政権ではあるけれど、どんなにひいき目に見ても、野党時代に分かっていなかったことがあっちでもこっちでも噴出してきて、はっきりいって前提にしていたことと目論見が大きく違ってしまったというのが実態じゃないだろうか。
この辺がクリアーにならないと民主党が今度の参議院選挙で勝っても、まだまだ安定した政権にならないような気がする。
その大半は、自民党が永年続けてきたやり方の中でできあがっていた、霞ヶ関との連携(といえば聞こえは良いけれど、任せきることによって楽をして、自分は目先の利益を得ることに邁進できるという、簡単に言えば癒着)を組み替えるという大きな転換作業に由来している。
その中には「よらしむべし、知らしむべからず」によってこの国の肝心な部分をあくまでも隠し通すという非近代的官僚社会を明治以降初めて揺すってみているということがある。終戦直後の、何から何まですべてを廃棄してしまって国の歴史すらあたかも言語を持たない文化国家ででもあったかのように喪失してしまった、という実績を持つ国らしい官僚の、その程度の責任意識がある。
社会保険庁のデーターの保全にしても、外務省の確認文章の逸失にしても、およそ文化国家の官僚が管理していたとは思いがたい始末である。
だから、不足する情報の中から出発する門外漢は大変に不利だというのは事実だろう。それを知っているマスコミも、それまで国民の目から政治・行政を隠し通した官僚と自民党に与してしまう事態には呆れかえる。
政治を変える、国を変える、仕組みを変えると簡単にいうけれど、それまで美味しい目を見てきた連中は決してそう簡単に手放そうとはしない。自民党の谷垣、公明党の山口、みんなの党の渡辺、新党改革の舛添たちが、菅内閣に対して声を荒げて追求しているのを見ていると、その美味しい手段を失って、悔しくて悔しくてしょうがない、と見える。内閣が替わってすぐに不信任案を提出するのであれば、次回臨時国会でもずっと出し続けなくてはならない。
マスコミの中の一社でも、かつての既得権益を取り返そうとしている旧与党に苦言を呈する論調はないのだろうか。