ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

新しい媒体

 何度も書くけれど、既存のマスメディア、新聞やら、テレビ、ラジオ(ラジオはまだそうでもないような気がするのはなんでだろうか)は今や真実を報道する気は全くなくて、みんなが報道するもの、例えば「小沢一郎民主党の支持率を下げている」様な主張はどんどん繰り返すけれど、知っているクセに他が書かないものについては書かないでいるという状況が当たり前状態になっていて、私たちが日常的に有料購読している新聞なんぞはかなりその中身が問題だ。
 例えば共同通信がこう書いている。

 警視庁によると、保安官は「4日に神戸市内のインターネットカフェで投稿、流出させた」などと説明していることが既に判明。翌日に削除した理由については「朝、ニュースを見て驚いたから」という趣旨の話をしているという。(2010/11/12 02:02 共同通信

 これは警視庁の誰かが共同通信の記者の誰かに、海上保安官がこう喋っていると説明したということだけれど、これは本当なのか?本当のことだと誰が何を根拠に判定したのかというと、ここでは判定されていないのだ。「という趣旨の話をしているという」といっているに過ぎない。しかし、これで既に世の中の人たちは、これは事実なんだと思い込む。これはこれまでと同じで、警視庁がいったことをそのままあたかも「これは信用しても良いんだよ」といわんばかり(いってはいない)なのである。つまり、そう受け取ったらそう受け取った奴が悪いんである。
 こうなると私たちはこれから先、世の中の出来事の「真の姿」をどうやったら知ることが出来るようになるのだろうか。これが複写機や、インターネットというものが全くあり得なかった戦前の時期であったとしたら、口コミで流れる情報についてはそのやりとりで既に危険があったからそう簡単に伝播することが難しかっただろうし、公的には殆どの人が知らないと答えるわけだから(そうでないと特高に引っ張られてしまう)、どこまで伝播しているのかわからなかっただろう。
 しかし、今はインターネットがあるから、そっちがある種の言論統制の最中にあっても(どうやら今は正にその状態にあるわけだが)、何らかの方法を考えることができるはずだ。しかし、それだって、何らかのコントロール下にないとは限らないわけだろう。
 私たちはこれから先、どうしたら真実を知ることができるのだろうか。ここまで自らの役割を自らの価値を放棄してしまったマスコミの罪はとてつもなく大きいといえるだろう。これははっきりいってジャーナリズムの崩壊といって良いだろう。
 これまで常に真実を報道しようという姿勢をほんのちょっとなら金のために諦めても、直ぐに挽回できるだろうと甘く考え、スポンサーの手前があるから取り敢えず口をつぐんでおこうという、愚かな現実主義が自分の立場を徐々に食いつぶし、気がついたらもうその基礎はシロアリにやられたかのようにグズグズになっていたのだ。
 先日の小沢一郎ニコニコ動画での1時間半をその電子版で完全採録した産経新聞には驚かされたけれど(一番無視するのかと思ったものだから)、ひょっとしたらあんな具合に心を入れ替えたら、まだ挽回ができるのだろうか。それとも彼等はもう挽回する気もないのだろうか。
 新しい信頼のできる媒体とはどんなことになるのだろうか。