ほぼ足りてまだ欲 その先

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ジェロントロジー

 久しぶりにこの言葉を聞いた。この言葉を初めて聴いたのは2000年のことで、木下康仁先生の講義に刺激されて木下先生の著作や書かれたものを集めているうちに木下先生がLa Trobe大で客員リサーチャーをやっておられたのがLincoln Gerontology Centreだったとお伺いしたのが最初だったと思う。それでそういう学問があるのかと知ってびっくりした。
 東洋経済新報社から「2030超高齢未來」という本が昨年末に敢行されている。東京大学高齢社会総合研究機構の研究報告書のようなものなのだろうか。この本の表紙の肩に「ジェロントロジー」という言葉が見えて、これまでの高齢社会に対する提言とどんな違いがあるのだろうかと有隣堂で買った。
 今更刊行されるのだから、それも東大の横断的な研究機構としての活動の成果だから楽しみだったのだ。しかしながら、どうも画期的な対策はそう簡単ではなさそうだ。なにしろこれまでに見たこともないような社会がやってきちゃうんだからねぇ。
 どうして隣近所とつながらない社会になって来ちゃったのか、どうしてこういう子どもの生まれない社会になって来ちゃったのか、どうして弱いものはより弱いものを攻めていく社会になって来ちゃったのか、それはそれとして解明していかないと、どうやってそれを防いでいくかという対抗策を考えることが難しいから確かにそれはそれで研究する必要はある。しかし、今正に必要なのは、こうなってしまった以上臨床的にこれに対抗していく対策を考える必要があると云うことなんだと思う。
 地域包括支援センターを構築して高齢者介護のワンストップを目指しているわけだけれど、その数がどんどん増えて、それこそ「うちのセンターは・・」といわれるようなシステムにすることが必要なのは誰もがわかっている。しかし、そのためには人手が決定的に不足していてその人材をどの様に創り出していくのか、という点に問題はあるし、そういうシステムの完成に取り組んでいるんだという姿がごく普通に語られるような社会にするということが不可欠だという認識にも問題はある。
 介護の人材手当についても安いということは利用者の負担、国民の負担が少ないということでもある。つまり介護労働者の報酬を増やすということは両者の負担も必然的に増えるということでもある。では介護労働者の報酬はどのレベルにあったら成り立つのだろうかといったら、私の知る限りではそれを説明してくれている人が見あたらない。そりゃ高ければ高い方が良いのに決まっている。しかし、どこまでだったら利用者の負担も耐えられるというのだろうか。これは全員が納得できるということは多分ないんだろうと思う。