ほぼ足りてまだ欲 その先

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にげろというと

 福島第一原子力発電所から東京までは250kmくらいだろうか。チェルノブイリのことを考えると、東京も安全とはとてもいえない。関東の電力会社の発電所なんだから近くて当たり前で、関東県外に発電所を持っていることにむしろ違和感があるというべきだった。しかし、これが水力発電所だったらそのダム建設に問題はあったかもしれないけれど、かつてはそんなに問題にならなかっただろう。原発を福島、新潟に押しつけてきたということは事実で、今回の事故に関して無害でいられるわけはないといわれている。
 若い人たちにはできることなら次世代を構築する子どもたちを連れて東日本から逃げて欲しいと所々でいう。すると反論として帰ってくるのはいったいどこへ逃げろというのか、商売を放りだして逃げろなんて軽々にいうなということばだ。しかも、政府がいうならとにかく一民間人のお前が言うなという。
 政府は最後の最後までそんなことはいわないだろう。大変なことになるからでもあるし、もし、巧く収まったら、という逡巡もあることは前にも書いた。逃げようがない。これが現実だ。逃げる先がない。自分の意思で逃げたらすぐに生活費が払底する。政府が逃げろといえば、その後の生活は補償される(だろう)。
 逃げるという手だてはこの国の国民としては取り得ない手段なのか。
 ひょっとすると、この期におよんで逃げるという卑怯な手段は執るべきではないと思っているのだろうか。そうだとしたらそれは違う。そうして一億全員が被爆してしまえば(まずそれはないだろうけれど)それから先の日本という国はどうなるのか。見当もつかないだろう。それは本来的な意味での愛国ではないだろう。日本という国が引き続き存続するためには、若い世代が生き延びなくてはならない。例え、今、この数年が苦しいことになったとしても、そうした世代に期待するしかない。今この瞬間だけを自己満足で自己犠牲化したとしてもそれでは犬死にだ。