ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

原子力発電

 もう頭の中は激震がまた来るんじゃないかという不安と、すぐにも放射能が拡散するのではないかという恐怖ばっかりだ。今日は東京都知事選挙の投票日で、朝日も讀賣もこれまであの人をバカにした人種差別、性差別、弱者差別主義者の石原慎太郎が有利だという記事を書いている。これで、どこがフェアなんだろうか。毎回の選挙でもそう思うんだけれど、この情報は余計なものだと思う。こうなるとどんなことを考えるのかというと、「なんだ、あいつが勝つんじゃ、わざわざ投票にいってもしょうがない」だったり「自分の票が死に票になるのはもったいない(どこがもったいないのか意味がわからないけれど)」だったりする。
 それこそが大間違いで、少しでも自分の気持ちを明確に表すことが「あいつ」に対する抵抗の意思表示である。今回も差別主義者である石原慎太郎原発推進論者であることを知りながら、彼に投票する気持ちがどうしても理解しえない。
 「原発をなくすというのは現実的には考えられない、それは理想論だ」という輩がしたり顔で書き込むのを見ているとぞっとする。背に腹は換えられないから喰いものが払底しているから毒饅頭を食うのはやめられないといっているわけだ。自分ひとりがそれを続けるのならどうぞ好きにしたらよいと思うが、こればっかりは他人にも毒饅頭を押しつけるのだということを知るべきだろう。
 今回の投票率はどこまで行くだろうか。こんな時期なんだから驚異的な、それこそ戦後すぐの選挙のような高投票率を示すのだろうか。いやいや、もうあんなことはあり得ないのだろうか。議会制民主主義のこの国ではひとりひとりが力を行使するのは、この時しかない。それなのに、これを行使しない人間が半分くらいいるのが普通になっている世の中はどう考えてもおかしい。
 投票権をどこかの国のように登録制にして政治に参加したくない人間を排除するのか、あるいは某国のように投票行為を行使しないものには罰則を適用するといった制度改革をするべきではないのか。自民・公明政権はそうした愚民選挙の故に成り立っていたものだから、これに手をつけようとしなかったどころか、語ろうともしなかった。なにしろ彼等はようやく司法が一票の偏りに違法判決を出すまで、これに触れようともしなかったのである。
 だから、民主党政権がこれをどうしてくれるのかと楽しみにしていたのだけれど、ここにいたって彼等にはポリシーなんてものはないのだということが発覚してしまった。政党にポリシーがないのだよ。実にこれは情けない。