ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

目的なんてない

 昨日の夜のBSのどこかのテレビでスペインのアンダルシア地方を取り上げた街中番組をやっていた。そこに通りかかった青年が妙に細長いものを背中にしょっている。「それはなんだ」と聞くと取り出して見せたのはなんとディジュリドゥだ。なんでまた豪州の先住民、アオボリジニの楽器をスペイン人の彼が抱えて歩いているのか。そしてそれを希望に添って取り出して見せ、鳴らして見せた。
 こんな具合にあっちでもこっちでも気に入ったところがあったら暮らしては旅に出ているんだというのだ。昔でいったら吟遊詩人なのか。多分彼は豪州にいったことがあって、あの音に見せられたのだろう。それにしても一体なんのために彼はこんな生活をしているのだろうか。
 多分、目的なんてないのである。自分の好きな姿だけを描いているだけなのだろう。それが後年なんらかのものとなって人様の興味を引くのかも知れないし、なんにもならなくて誰の興味も引かないかも知れない。それでも彼は別段なんということもいわないかも知れないし、思わないかも知れない。いや、そうだろうと思うからしているのかも知れない。
 私にそれができただろうかと問えば、やっぱりそれはできなかった。何か、世の中に存在している人たちと較べるところから欲望を溢れさせるという生活をひねり出してくるという人生を送っていたからだろう。人と比較するということはきっとそういうことをやらない。人のことを一切考えない、自分の存在だけが展開していったらそうなるのではないかと思ったりするけれど、実際にそうなったことがないからわからない。
 こうした相対的な人生を歩まない人たちが(ひとりひとりは個別なんだから十把一絡げに論じるのは大間違いだけれど)ある日、誰かの興味を引くことがあるんだろうけれど、それは興味を持つ人が自分がしたくてもできなかったからなのか、自分が送ってきた抑制した生活をその時はいやだったけれど、今になって他人との比較をすることによって、抑制義務をないことにしてきた自分を優位に思いながらも、隣の芝生を覗きたがる結果だからなのかわからないけれど、まぁあるんだろう。
 それでも人は誰かとの関係性を持たないと生きていけないらしい。う〜む、わからん。