ほぼ足りてまだ欲 その先

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クリスマス・カード

 以前に少しの間暮らしていた豪州の街の教会で知り合ったオーストラリア人の老夫婦から今年もクリスマス・カードが到着した。確かお二人とも85歳近辺だろうか。あんまり詳しく近況がわからないけれど、とりあえずお二人とも今年も無事にクリスマスをお迎えになったことを知った。
 そこの教会に通ってくるたったひとりの日本人であった私に毎週声をかけてくださったお二人である。豪州のやり方でもあるように彼等は三人の子どもを育てて二人にまた戻った時にそれまで暮らしてきた屋敷を売ってこぢんまりとしたアパートに引っ越し、そこの管理人のようなことをしながら暮らしていた。豪州では家族の大きさに合わせて引っ越すことは珍しくない。
 私が暮らしていた家の隣も老夫婦が暮らしていたけれど、家そのものはとても二人にぴったりな可愛らしいサイズだったけれど、こちらは庭いじりが趣味で広い庭をそれはそれは綺麗に造っていた。私がごく雑に芝を刈るとやれやれという顔をしてみていた。
 そんな頃、偶々ある日日本人の夫婦が赴任してきて上述のご夫婦のアパートに住み着いた。そして彼等もその教会に加わった。紹介されてみるとなんとお二人とも学校の先輩だった。
 その教会の老夫婦の旦那がある日、私は実は戦後東京にごく短い期間行っていたことがあるという。なんで?と愚問を私は呈したのだけれど、彼は戦争中、豪州軍の情報部隊にいたのだそうで、詳しくは聞かなかったけれど、どうやら米国軍の指揮下にいたらしい。それでそのまま北上していって英連邦軍(BCOF=British Commonwealth Occupation Force)としての進駐ではなしに東京に来たらしい。なにしろBCOFの正式進駐は年が明けてからの話である。
 彼がいうには当時の日本軍の無線交信は概ねすべてキャッチされていたという。彼の話で印象的だったのは日本軍(陸軍、海軍、どちらの話なのかわからないが)の飛行部隊が飛び立つと空中で全機の確認をするというのだ。だからそれを聞いているとそのグループが何機で成り立っているのかがすぐにわかったのだという。
 私は当時の日本軍が本当にどんな状況で航空機を飛ばしていたのか検証しているわけではないからそれが事実かどうか知らないが、彼の話を聞いてそれは随分単純な話なんだなぁとあまりのシンプルさに感動すらした。
 自分の日頃の言動も含めて、その辺の感覚は今でもあんまり変わっていないんだなぁとなんだかがっかりした。