ほぼ足りてまだ欲 その先

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どうしたものか


 もうどう考えても、今の永田町の体制ではこの非常時を乗り切ることはできない。霞ヶ関もなにかアイディアを出そうとしている様に思えない。
 それまで「これだけシビアーな規制値をかけているんだから大丈夫」といっていた核廃棄物の漏洩に関する規制だって、いざ実際にボンボン、次から次から廃棄物が空中に飛びだしていき、海に流れ出していき、地下に染み出していき、となったらその規制値をぽんと跳ね上げておいて「今すぐ健康にどうのこうのという数字ではありません」といってしまえば終わると思っている。
 イヤ、思ってはいないんだろうけれど、それで済ましてしまえばいいんだ、押し切ればいいんだ、ぐちゃぐちゃいう奴がいたって知らん顔すればいいんだ、とやっている状況を見ていると、彼等はもう本当にこの国をどうにかしよう、どうやったら次世代を救い出すことができるのか、将来的に大和民族(随分聞かない言葉だ)を保全することができるだろうかと考えてはいないことが明白だ。
 霞ヶ関もそうだし、最高学府の連中だってそうだ。彼等は中学、高校の頃から勉強ができる奴らで、周りから「良くできるんだってねぇ」「凄い学校に合格したんだってねぇ」「嬉しいねぇ、お父さんは嬉しいよ!」といわれ続けてその名を出せば誰だっていっていることをふんふんと黙って聞くというような大学を出ているわけだ。国民の税金を使って勉強をしてきたんだから、その国民のために尽力する役人であり、研究者になってくれるのかと思ったら、とんでもない。その上まだ税金から金をかすめ取ろうとすることしか考えていない。威張り散らして、俺が機嫌を悪くしたらもうお前なんかしらねぇよといわんばかりの態度だ。ちょっとわが身危ないかも知れないと思うと慇懃無礼な謝罪の連続だ。
 この国の現状を見ているともはやボロボロだ。なんでこんなことになったんだろう。いつからこんなことになったんだろう。ずっと前からこんな状態だったっけ?民主政治が昨日して、政権が交代したんじゃなかったっけ?政権が交代するという意味は、それまでのやり方を変えたい、という理由があったということではなかっただろうか。それまでの自民・公明政権のやり方と変わらないのであれば、なにも変わる意味がなかった。
 つまり、私達は、イヤ、他の人のことは良くわからないから、私は自・公のやり方がイヤだったから、政権交代を支持してきた。自・公がやってきたのは国からどうやって自分達の側に金を動かすのか、それを如何にばれないようにやっていくのか、だった。
 今民主・国民新党政権がやっているのも、全く変わっていない。国民のみならず、周辺、全世界を放射性廃棄物の汚染に晒しておいて、それでもまだ、騙すことができると勘違いしている。それが成功すれば永田町、霞ヶ関は利益追求集団とともに金儲けに安泰無事でいられると勘違いしている。
 しかし、問題はここからだ。じゃ、私はどうやって彼等のこの欺瞞に充ち満ちている国家運営から脱却することができるのだろうか。
 はっきりいって、なにも見えてこない。騙され続けるということなのか。