ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

鉢呂経産相

 親しい新聞記者に「ほら、放射能」と防災服のまま寄っていったとか、「人っ子ひとりいない死の街だった」と語ったことで、鉢呂はマスコミ各社からぼこぼこにされている。どちらかというと、就任するやいなや原発に対して否定的発言をした原発を所管する大臣を既得権益集団がスクラムを組んで必死になって排除しようとしているとしか思えない。
 電力会社にとっては原発を運転するのは打ち出の小槌なのだから、それを禁じ手にしようとする政策を抱えた所轄大臣は金輪際存在してはならないというスタンスだ。新聞各紙の中にはひとつ位、鉢呂を擁護する媒体はないものかと思うけれど、広告出稿料で成り立っている民間媒体が大スポンサーである電力会社に楯を突いてまで「正義」を貫くわけがない。彼等はただ単に金という甘い砂糖に群がる蟻に過ぎないのであるから、これっぱかりも期待しても無理なのだ。日本のマスコミュニケーション媒体における真のジャーナリズムなんぞというものはもはやどこにも存在しない。
 讀賣新聞の9月7日付社説(こちら)は呆れるばかりの原発死守論調に満ちあふれていて、あたかも金づるを離すまいとして必死の形相でうった電気事業連合会の意見広告のようなものである。
 それでは広告に何ら影響を受けない公的媒体、つまりNHKはどうかといったら、夜中中心のドキュメンタリー番組ではなかなか意味のある番組(他国が制作したものでもまだやらないよりはマシ)を放送してはいるものの、なにしろ認可機関だから霞ヶ関の影響下にあることは事実である。かつてドキュメント番組を死んだ中川一郎や途中で政権を投げ出したクセにこそこそと発言している安倍某なんぞにねじ込まれて番組を改編した事実はいつまでも彼等に対する不信感を払拭できない。
 今こそ私達は発言し続けなくてはならない。本当の意味で私達日本国民と日本という故郷をぶち壊し続け、甘い汁を吸い続けているのは一体誰なのか。
 「死の街」を創り出してしまったのは、どんな連中で、それはなんのためだったのか。この期におよんでまだ国民を騙して、この国をむちゃくちゃにしてでも自分達の懐に富をかき集めようとしているのは一体誰なのか。
 オバマの(選挙対策とはいえ)マイノリティーに資することができるかも知れない政策に対して自分の懐から拠出することはイヤだと黙りを決め込もうとする共和党の政治家の姿はそのまま原発被害を無視して、自分の財布を覗いている電事連経団連霞ヶ関、マスコミ媒体の姿そのものだ。私達はいつまでもこの「負の構造」をそのままにし、国民のみならず地球全体を汚染し続けていくのか。