ほぼ足りてまだ欲 その先

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移民

 ノルウェーオスロの爆弾テロ、島での銃乱射事件。犯人はAnders B. Breivikというノルウェー人の32歳の男で、「One person with a belief is equal to the force of 100 000 who have only interests.」という言葉を自身の顔を堂々と出したtwitterのアカウントを残している。彼はこのアカウントにはこの言葉を発言しただけだから、このためにこのアカウントを作ったのだろう。
 どうやら、この男は移民の定住に反対の立場をとっている排斥主義者だということの様だ。
 わが国にもこの立場をとっている集団は今でもいる。連中は偶にひとり一本ずつ日の丸を掲げて、都内を行進したりする。マスコミは殆ど彼等の行進を報道しない。例外は産経新聞位だろうか。彼等は沿道に反人種差別を表すプラカードを掲げた人を見付けたら何人もで取り囲んで吊し上げたりする。沿道警備している警察官はそれをただ見ていて、取り押さえる気はないらしい。
 この立場をとるものは昔からずっと世界各地にいる。多分人間はそれほど愚か者で、自分の信念と異なる立場の者との共生を許さないと思う傾向にあるということだ。先にここに住んでいる者達の方に優先権があるという論理だ。実は詳細を調査してみると、それよりも先にそこにいた人はいたらしいと云うこともわかるし、自分達の先祖もよく調べてみると、他からやってきたものだったりするのだけれど、つい目の前のことしか、考えない。
 近いところではアメリカ合衆国では中国人や、日本人といったアジア地域からやってくる移民達の定住を許すまいとあらゆる手段を執ってきた。帰化も許さなかったし、土地を取得するのも許さなかったし、法律を作ってまで人種差別してきた。あの国は元はといえば先住民を蹴散らかして作った国で、先祖というのは各地からやってきた移民が作った国だというのに、その後からやってくる人たちをまた蹴散らかしていた。
 しかし、今回の犯人が殺したのは、移民を受け入れている政府だったり、その政府を支持するノルウェー人たちだった。
 人間は悲しく愚かで、自分と異なる習慣、価値観、倫理観を持つ人間を許せない。互いを知るということすらしない。だから互いを理解するなんてことができるわけがない。理解というのは知らないものに対してはなんの機能も果たさない。まず知らなくては理解できない。
 出稼ぎ労働者として多民族や多文化で育った人間を受け入れることは容易だ。しかし、人間はロボットじゃないから故郷に錦を掲げるだけのつもりでやってきた労働の地に暮らしているうちにそこに根が生え、家族を抱え、日常を抱える様になるのは当然の流れなんだということを理解することは重要だ。
 これを理解しなくてはならないのは、ひとりひとりの住民もそうなんだけれど、勿論法を施行する国を預かる政府にとってはより必要となる。
 この地球に存在する国家間の境界にはベルリンの様な壁はない。尤もあったとしても人間は知らないうちにそれを乗り越える。その流れは誰も止められない。つまり、人の流れは水の流れと同じで、どんなことをしても止めることはできない。だから、理解し、共に生きる手だてを考えることがどうしても必要なのだ。人間は努力して共生するしかない。「共生に賛成か、反対か」ではないのだ。