ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

活字

 わが家から10分ほど歩いた裏道のお寺さんの前に不思議な文房具屋がある。この店の話をしたら連れあいもすぐに反応したから気がついていたのだろう。表の跳ね開き式のガラス扉も、両側のショー・ウィンドウのようになったガラスも、そして横丁に面したガラス窓もあって外から中がよく見える。古い建物だけれど、これが建った頃はモダンな感じの明るさだったのだろう。
 何が不思議かというと、そのショー・ウィンドウのようになったところに三つほどノートの山が積んである。それがいつ見てももう何年、そのままかと思うように微妙にずれ、上になったノートはすっかり日に焼けている。もうやっていないのだろう、売れないままあのノートは放置されているんだろうと思っていたら、ある日通りかかったら痩せた爺さんがハタキをかけていたのだ。だから、やる気なのだ。そうだったらあのずれて積み上がっているノートをどうにかしたらいいと思うなぁと独り言をいいながら通りすぎた。
 ところが、昨日通りかかって、ふと中を見たら、一番奥の棚一面に活版印刷の活字が積み上げていあるのが目に入った。あれ?ひょっとしたらこの活字を使って名刺を印刷してくれるのかも知れないぞと俄に思ったのだ。で、横丁の方に足を踏み入れてガラス越しにもっと良く見ようとしたら、そこにくだんの爺さんが奥からズイッと出てきた。それもとても鋭い視線なのだ。ヤバイ!この爺さんは私を怪しい奴だと思っている。とっさに思って、私は正面に廻って、扉を押し開き、「ごめん下さい!」と大きな声でいった。客だと判れば、大丈夫さと。爺さんが出てきた。マスクを手に持っている。「あの活字で名刺を刷ってくれるんですか?」と聞いた。途端に爺さんの態度に安堵と、倦怠感が浮かぶ。「あぁ、でも、今はやってないんでね」と愛想なくそれだけいうと爺さんはマスクをした。これ以上喋る気はねぇよと宣言したようなもんだ。「いや、通りかかったら見えたもんだから、じゃ」と私は出てきたけれど、考えて見たらメールアドレスって活版じゃ印刷できないかな?と思った。
 あの爺さんはひとり暮らしかもしれんなぁ。