もちろん一番上に来るのはあの3.11震災+福島原発事件だけれど、これは大きすぎて「私の」とするわけには行かないから、取り敢えずこっちに置いておこう。
1)実家の解体
両親が他界してからもう何年も経つけれど、古くなってガタガタになってしまった木造一部平屋建ての家を壊して、建て直すことになった。あの家は私が多分5歳くらいの頃に建てられたもので、土地は戦前の造成だったそうで、当時は瓦礫の山だったらしい。その証拠に子どもの頃、庭の片隅を掘るといかにも戦災で破壊されたと覚しき家の瓦なんかが掘り出されてしまうのを発見したことがある。
しかし、60年も建つと戦後直ぐに建てた木造の家というのは実に情けない状態になるものだ。実は私は解体後一度も現地に行っていない。行くのがいやだ。自分の匂いを払拭された現場を見たいと思えないのだ。
おかげで小学校低学年時の通信簿は出てきたし、父親が貰っていた南極の石なるものも出てきたし、綿々と綴っていて、なんと書いてあるのかよくわからない親父の日記も出てきた。どうやら、毎日大したことのないことをだらだらと文字にするのは遺伝のようだ。
2)欧州に旅行
毎年一度は出掛けたいと思いだしてからまだ数年にしかならないけれど、今年はオーストリア、チェコ、ハンガリーというハプスブルグ家の栄華の跡を旅することができたのは私にとって非常に大きい。おかげでこれまで見たこともないオペラを見ることができたし、入ったこともないオペラハウスやコンサートホールに足を運ぶことができたし、様々な教会、様々な遺跡に足を運ぶことができた。
世の中には知らなかったことがいくらでもあって、足を踏み込んでも踏み込んでも、次から次に知らないことがあることが判明してきてしまう。そのこと自体は今知ったことではないけれど、ますます知らないことの存在が顕わになってきて、気が遠くなりそうだ。
概して欧州という地域が狭いんだということも知ったけれど、どうしてこんな狭い地域の中でこんなに複雑に言語が入り組んでいるんだろう。彼らの歴史を見ていると侵略の繰り返しで、憎悪のリフレイン、権力の盛衰、人間の性の絶望的な拡大を想像する。
こういう地域を若い時に知る機会を持った人たちが羨ましい。若い時にあの地域をもっと知っていたら、と思うと「世界史」の授業ってないがしろにできないんだなぁ。しかし、もっと面白く授業ってできるような気がするなぁ。
3)老化
あちこちガタが来ているなと実感する歳だった。歩く速度が遅くなった。膝が痛くなる。トイレが近くなる。歯茎が薄っぺらくなったようだ。髪の毛はすっかりなくなってきた。背丈が縮んだ。目が霞む。何よりも中性脂肪値、コレステロール値が上がって来ちゃって、遂に薬を常用するように医者から指導されてしまった。友達と逢っても薬の話になってきた。
卒後40年の節目の集まりが大学であって、本当に卒業以来の友だちと出会うことができたことも嬉しいことだったけれど、みんな爺さんになっていて面白かった。まるでハリウッドの映画で全員が老けメイクアップを終わって出てきたみたいだったけれど、実際はそれだけの年数をかけてできあがった老け姿だった。40年前にはまさかこんなことになるんだとは、これっぱかりも思っちゃいなかった。