ほぼ足りてまだ欲 その先

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マーシャル諸島

 昨日の東京新聞マーシャル諸島の話が出ていた。先日の横浜で開かれた反原発世界会議にマーシャル諸島共和国から参加した人がいたのだそうだ。
 私達の世代だったらばまだビキニ環礁という地名を覚えている。南太平洋にあって、米国が何度も何度もここで核爆弾の実験を行った地域である。かの第五福竜丸被爆した1954年の核実験も米国がビキニ環礁で行った核爆弾実験である。戦後この地域を信託統治領としていた米国が1946-1958年の間になんと67回も、核爆弾実験を実施してきたという。「ビキニ環礁の核実験場跡」として世界遺産に登録されている。つまり、この地域は大いに放射能汚染されていたわけだけれど、もうあれから半世紀以上が経っているわけだから、とっくに問題が無くなっているのだと思っていた。
 ところが横浜で演壇から呼びかけた元同国上院議員アバッカ・アンジャインさんの話によると、それはとんでもない話で、かつての楽園とまで呼ばれた地域の住民達は未だに米国が行った暴挙によって、そしてその後の非人権的な行いに振り回され続けているというのである。
 当時あの実験で米国は住民になんの予告もせずに実験を敢行したという。住民86人が死の灰を浴びた。三日後に米国は住民を別の島の基地に連れ出す。そして三年後になって「安全宣言」を出して元へ戻す。しかし当然様々な放射線障害が身体に出て、実験から30年以上過ぎた1985年になってNGOグリーンピースの支援を得て島外へ避難した。翌1986年にようやく米国は「四つの環礁の住民に補償」をすることになる。実験から32年である。

90年代からはロンゲラップ環礁の本島でインフラ整備や除染などの「再居住事業」を開始。住民に無理強いする形で「事業完了後、住民は2012年に帰島する」との合意を成立させたという。

 ところが問題はこの除染にある。

米国が除染したのは、約60の島々からなる環礁で、本島ひとつだけ。しかも約222ヘクタールのうち約80ヘクタールの住宅地に限定された。
 (中略)
「今戻るというのは、本島にある狭い住宅地から一切外に出るなということ。これでは以前の暮らしは取り戻せない。除染されていない場所に立ち入った場合は、健康被害による内部被爆の危険は、将来も続く。」

 除染という行為が如何に困難か、如何に実際的ではないかということの証明がここで行われていると見ることができるだろう。
 私はマーシャル諸島でのこの核実験のことは知っていたけれど、もうとっくに過去の出来事なのだと思っていた。福島第一の事件が英米仏印パキスタン等が行ってきた核爆弾実験に繋がっていることであり、このマーシャル群島の被害に繋がっているということを忘れてはならないだろう。
 私が核爆弾実験による周辺住民の被害がいつまでも周辺生物に及ぶということを知ったのは広瀬隆の著作からだった。私は大きな資本と強大なエスタブリッシュメントに目くらましを受けてきていた。そして本島に眼が開くのが実に遅すぎた。福島第一原子力発電所はあの事件以降未だに放射能汚染を拡散し続けていて、周辺生物に対する攻撃を続けている。その状況を今でも目隠しして、他の原発を動かそうとする意図は何を原動力として働いているのだろうか。その実態から目をそらして現状の流れを続けようとする者どもの意図はどこにあるのだろうか。まるで自分達は何か眼に見えない防護膜の中にいるとでもいうのだろうか。

ジョン・ウェインはなぜ死んだか (文春文庫)

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