ほぼ足りてまだ欲 その先

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縁故採用

 岩波書店が誰かの推薦がある学生達の採用に限ることにしたというのは随分話題になっている。そんなことをいったらお恥ずかしい限りだけれど、自分も就職にあたっては縁故就職だ。なんて狡いんだろうという話になるんだけれどね。
 かつての日本の企業社会には企業に対する忠誠心というものが何もしなくてもできあがっていた。そういう気持ちを持つのが普通だったから社員は家族的な意識が大きく働いていて、同じ船に乗っているという意識が普通だった。例えば私が勤めていた会社でも年頭の社長の挨拶にそんな言葉があっても違和感がなかった。株式市場に上場していない出光石油なんて、「家族主義」といって憚らなかったくらいだ。
 ところが右肩あがりがヤバクなってきてからは、そんなことばは聴いたことがないというくらいに何処かへ行ってしまった。
 それがここへ来て岩波書店が作家等の推薦を含む縁故採用に踏みきる意味は、そういう会社に対して提供する安定した労働の確保を目指すということになるのだろうか。これは雇用均等法に関しては法に触れることはないのだろうか。
 しかし、会社に対する安定した労働の提供を不安定なものにしてしまったのは労働者の側なのだろうかと考えて見る必要がある。企業としての融通をより大きな幅のものにするために、労働者をフレキシブル雇用にしていき、ひいては企業そのものに対する貢献という力を不必要なものだという見方に労働者を陥れていったのは企業そのものだったのではなかったのか。
 今度の岩波の採用方針の変換はその点では随分勝手なものだといわれても仕方がないかも知れない。いや、実は多くの企業が正規社員の採用に関していうと、一方的な効率に終始しているということなのではないかという気がする。