ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

 先日参加した元日本軍の捕虜だった方々の体験談を聞く交流会には簡単な関連図書をお持ちの方がおられて、中から数冊入手した。

C級戦犯がスケッチした巣鴨プリズン

C級戦犯がスケッチした巣鴨プリズン

 捕虜虐待の罪に問われ重労働30年の刑を宣告された著者が収容された巣鴨プリズンの様子を当時漫画にして残していたもので、かなりの数の絵にしていたそうだけれど、その大半は人にくれてしまったのだそうだ。著者は大森捕虜収容所に所属する軍曹で、捕虜に対する暴行容疑のC級戦犯だ。多くの場合、捕虜は大変にひどい目にあっている。しかし、当時の日本の軍隊では上官から下の兵に対する暴行はごく普通の日常の風景であって、当たり前の行為になっていた傾向がある。それが戦後になってもあらゆる場面での体罰として当然の行為のように語られていた形跡がある。だから、やられた方の受け止め方とやった方の受け止め方に大きな違いがある。これも大きな問題を生み出した要因でもある。
1945年9月11日ラジオで大森捕虜収容所所長、品川付属病院院長らの戦犯容疑が伝えられたと記してある。
 このときに発表された戦犯リストの中には日本人の戦犯だけでなく、外国人も戦犯として含まれており、その中には豪州兵捕虜として対敵プロパガンダ放送であった「セロ・アワー」を担当したチャールズ・カズンズも含まれていた。彼は解放されて帰国するべく日本を既に離れていたが、急遽日本に呼び戻されている。このニュースは豪州でもAAP特派員発として報じられていて、13日のThe Canberra Timesは一面でこのニュースを取り上げ、前日Sydneyの自宅でカズンズ夫人に取材した様子まで「きっとすべてうまくいくはず」というコメントと一緒に報じている。

War Graves Digger: Service with an Australian War Graves Registration Unit

War Graves Digger: Service with an Australian War Graves Registration Unit

 各地の戦争でなくなった豪州人墓地について書かれたもの。横浜にある英連邦戦没者墓地についても当時の写真を含めて言及されている。

それでもぼくは生きぬいた―日本軍の捕虜になったイギリス兵の物語 (教科書に書かれなかった戦争)

それでもぼくは生きぬいた―日本軍の捕虜になったイギリス兵の物語 (教科書に書かれなかった戦争)

 あの戦争で日本軍の捕虜になったのは全部で30万とも35万人ともいわれている。英国にかつて住んでいた著者が英連邦軍捕虜6万人のうち6人に取材して彼らがどの様な捕虜生活を送ったのかを記録したもの。
 ロンドンの戦争博物館は1995年に終戦50周年を期して多くの兵士のインタビューを残しているようである。

司法が認定した日本軍「慰安婦」―被害・加害事実は消せない! (かもがわブックレット)

司法が認定した日本軍「慰安婦」―被害・加害事実は消せない! (かもがわブックレット)

 どうやらなかったこととしてしまおうとする状況の中で検討するべきポイントを認識し直すために。