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謝罪

三菱マテリアル 元米兵捕虜に謝罪へ
戦後70年のことし、三菱マテリアルは、太平洋戦争中、経営していた秋田県の鉱山などで旧日本軍の捕虜となったアメリカ兵に労働を強いていたとして、初めて謝罪することになりました。太平洋戦争のさなか、旧日本軍の捕虜となり鉱山などで働かされたとして、アメリカ国内には今もわだかまりを持つ人がいます。
こうしたなか、複数の関係者によりますと、当時の三菱鉱業、今の三菱マテリアルは、今月19日にロサンゼルスで式典を開き、太平洋戦争中、経営していた秋田県の鉱山などで、旧日本軍の捕虜となったアメリカ兵らおよそ900人に労働を強いていたとして謝罪することになりました。
式典には、三菱マテリアルの役員らと、元捕虜の代表やその家族らが出席するということです。日本政府は旧日本軍の捕虜となったアメリカの元兵士に対して5年前に「心からおわびを申し上げます」と公式に伝えています。
ただ、元捕虜らは日本の企業に対しても謝罪などを求めていて、三菱マテリアルアメリカの元捕虜に謝罪するのは初めてだということです。これについて、太平洋戦争中にフィリピンで旧日本軍の捕虜となった元アメリカ兵などで作る団体の代表は「歴史的な機会であり、世界が三菱マテリアルの勇気を称賛することを期待している」としています。(NHKニュース2015年7月15日 17時31分)

 戦時捕虜(POW)について日本ではほとんど報道されることもないし、取り上げられることもなかなかないのでなんでここで三菱マテリアルなのかということが解説されない。この秋田の鉱山というのは東京俘虜収容所第8分所として、秋田県鹿角郡尾去沢町(現・鹿角市尾去沢町)新山の学校施設(現・尾去沢中学校)を利用して開設され、のちに仙台俘虜収容所第6分所となったが、ここに収容された捕虜を使っていたのが当時の三菱鉱業尾去沢鉱業所だったということがPOW研究会のサイト(こちら)に報告されている。終戦時収容人員545人(米494、英50、豪1)、収容中の死者8人。もちろんここでもそうだけれど、使役についていたのは捕虜だけではなくて、中国人、朝鮮人が多くいた。
 他にいくらも捕虜を使役に使った企業があるのにもかかわらず、なぜここで三菱マテリアル(当時の三菱鉱山)なのかというと、米国で元捕虜の人たちが訴えを起こし続けていたからで、元捕虜の人たちが行動を起こし続けなかったらこういう事態に至ることなく、他の捕虜を使役に使ってきた企業と同じように「戦争だったのだから」という論理で押し切り通したことだろう。そういう点では三菱マテリアルの今回の決断は意味があるといって良いだろうと思う。
 POW研究会の報告書に見られるように、多くの企業はその後元捕虜の人たちが当時の場所を見に行きたいと要望しても拒絶し続けてきた。ここにも戦後は終わっていないことがわかる。