ほぼ足りてまだ欲 その先

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 昨年から今年にかけて中村勘三郎が若くして他界。今年になってからは市川團十郎があっという間に逝ってしまい、相撲の大鵬が死んだ。歌舞伎役者の二人は随分と話題になっていたからなんだか突然死んでしまったという感が否めない。多くの人が彼らの私を悼んでいたらしく、テレビのニュース、ワイドショーが「あれま、まだやっている」「あれ!こっちでもか」と取り上げていて大変なことが起きたかと思うようだった。
 私は大変に冷たい人間なのか、彼らの死がわたしにとって何か大事なことであるような気がしてこない。生意気ないい方をすると、生前口を交わしたこともない人の死に際してわざわざ別れを告げに行く気持ちを理解することができない。
 というよりも私は人間的に大きな欠陥を抱えているらしくて、身内であっても死に際して「しょうがない」という気持ちを持つ。「傲慢」な人生観を持っているからなのか、「感受性」に決定的な欠落ポイントがあるのか、その人の才能をもっと知ることができたら「自分が」面白かったのかも知れないなぁという思いはあるけれど、その人を「私が」失ってしまったのかどうなのか、自分で判断ができないという思いがある。その人が永遠に生きていたとしても、「私」というたったひとりの「人間」とその人とは多分全く接点がなかっただろうということでもあるからだろうか。
 人があちらに逝ってしまうと惜しいかな、何事も確かめることができなくなるという物理的な大きな制限ができる。それがとても残念な気がする。どう転んでも、もう二度と確かめることができない。