ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

今週のお題「私のお母さん」

 すみませんが「私のお母さん」とはいいませぬなぁ。「わがおふくろ」でしょうね。もしくは「私の母」です。「おかあさん」というのは森昌子の歌です。そういえば森進一と森昌子は夫婦でしたよねぇ。あのうちに出入りしていたというオージーの女性を知っています。ただ、それだけ。話がそれました。
 うちのおふくろは前にここに書いたので詳述はしませんが、大正7-8年の生まれでした。二人姉妹の長女で、当時としては珍しく女子師範にいって卒業してから奉職せずにうちの親父(遠い親戚)と結婚したんだそうです。なんだ、社会性ねぇなと思ったらそうじゃなくて、その後、オヤジが徴兵されて北支に3年いっていた間に、人手が足りなくて小学校、当時は国民学校だったのかも知れませんが、の教師になったそうです。
 50年以上前、ひい婆さんが死んだ葬式にいった時に駅から乗ったタクシーの運転手にあそこの角にいってくれといったらその運転手がどこの家に行くんですか、と聞く。田舎のことだからそういうこともあるのかなと小学生の私も思った。ところがおふくろが正に角の家だといったら、その運転手が「じゃ、先生じゃないですか?!」という。つまり彼はうちのおふくろの教え子だったというのだ。あれは戦後10年くらいの話だから、運転手も20代後半になっていたのでしょうね。
 そういえば私も24-5歳の頃、小学校後半を過ごした街でタクシーに乗ったら運転手がバックミラー越しにこっちを見て、「ひょっとして・・」と云って私の名前を挙げ、その運転手が小学校の同級生だったことがあります。
 昔の田舎はこんな事が平気であったなぁ、何しろ人が少なかったものなぁと思うけれど、ところがぎっちょんで、先日私は東京のど真ん中で乗ったタクシーの運転手が「お客さん、私、お客さんをお乗せしたのはこれが三度目です!」という運転手に出逢ったんです。そんなに特徴的なんだろうか。そんなはずはない。うちのおふくろに益々似てきて、その辺にいる爺さんそのものなんですから。
 師範学校に行って小学校の先生をしていたからでしょうか、うちのおふくろは歌を唄うのが好きでした。うちはサラリーマンの家ですからそんなに金があるわけではありませんのでさすがにピアノはなかったけれど、足踏み式のオルガンがありました。中古だったようですが、あれはおふくろが欲しくて買ったんだと思います。あれをひきながら唄っていました。歳をとってからでも当時の流行歌を良く口ずさんでいました。その血を次女と私が引き継いだようです。私たち二人は今でも人前で歌うのが大好きです。今だったらおふくろは多分カラオケにいったことでしょうねぇ。