ほぼ足りてまだ欲 その先

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条約は契約か

 戦争中に植民地とされていた朝鮮半島に暮らす人々が様々に宗主国たる日本によって利用されてきた。物質的な搾取もされたし、労働搾取ももちろんされたし、非人道的な扱いも受けた。
 しかし、戦後日本は1965年に韓国との間については基本条約を結んで有償、無償の経済協力を行うことで、対日請求権を放棄することになった。
 だから、もう既に日本が行ったことについてはその条約によって帳消しになったという主張を日本は繰り返してきた。
 昨日、私は電車で座っていたら、あいていた隣の席に座ろうと近づいてきた大きな男の人が私の足先を踏んでしまった。私は「あいたっ!」という顔をしたのかも知れないが、その男性は「すんません」という雰囲気で会釈をしたけれど、声に出しては何もいわなかった。私はそれが気に入らなかった。たった一言「あ、すみません、大丈夫ですか?」と聞いて欲しかった。今もそれを思い出す。
 国家間では「すみませんでしたね」といい「あ、良いんですよ、これだけ貰ったからね」というやりとりがあって一件落着したように見える日韓の間は今前にも増してぎくしゃくしている。しかし、韓国の大統領は当時日韓基本条約に署名した朴正煕の娘、朴槿恵である。
 国家間では植民地とされていた期間になされたことについては韓国は日本に対してもうどうしろ、こうしろということはいえなくなった。
 しかし、それは国家間の関係であって個人間の関係では意味をなさない。ひとりの韓国民とひとりの日本国民との間ではすべてを精算できるという問題ではない。非人道的に扱ったことや、文化を圧殺しようとしたことや、蔑視をしたことが日韓基本条約で解消されたわけではない。人間同士が持つ感情についてはどんな機関やどんな契約も及ぶところではない。
 強制されていたのか、強制されていなかったのか、という言葉の定義についても直接的に暴力を用いて、あるいは恐怖に陥れてそう仕向けたのか、あるいはそうせざるをえない状況に陥れられて選択肢がなくなった結果だったのかその辺は斟酌しない大変に狭義な解釈によって語られても、それは言葉のすり抜けにしかならない。
 搾取されていたというけれど、当時宗主国が建設して残してきた産業施設だってあったじゃないかという論理も問題のすり替えにしかなっていない。
 私がそのあと「痛いじゃないか!気をつけろよ!」と声に出していったら、隣に座った男性はどうしただろうか。「ふざけんなよ、謝っただろう!」と反逆しただろうか。
 労働力が払底していた戦中の日本企業は「決戦教育措置要綱」による学徒勤労動員までした。殆どの学校ではもう授業もなくなった。刑務所の囚人も動員したし、全国各地で戦時捕虜となっていた連合国将兵にも強制的に労働を課した。「戦時だったのだから当たり前だ」という認識が日本の中では当たり前に解釈されてきたけれど、それについても総括されたことはただの一度もない。
 アベシンゾーが「沖縄の負担軽減に全力を挙げる」といった言葉が非常にうつろに響くのと同様、「はなはだ遺憾だった」という何度も繰り返される言葉はやっぱりうつろだ。
 私は声に出して、相手をちゃんと見て「あ、ごめんなさい、いたくなかったですか?」と謝って欲しかったのだ。「なんだよ、謝っただろ!?何回謝れっていうんだ!?」じゃなくて。