ほぼ足りてまだ欲 その先

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間接民主主義

 40年前、私たちはこの社会を既得権益死守政治から正しい方向へシフトするには選挙なんかに頼っていたっておよそ実現なんてしないんだ、何が選挙だ、どうせこれまでの価値観で成り立っている人たちは揉み手をして権力を握っている連中に媚びを売って権益確保に走り回り、簡単にその手先に懐柔されてしまうんだと思っていた。だから、革命を起こさなくては社会の正義は行われないんだと思っていた。
 案の定社会の正義は行われず、エキセントリックな連中の本質を見誤った行動を象徴的に取り上げることで、そんな思想はただ単なるテロリズムに過ぎないという判断基準をマスコミを使って広くあまねく世に行き渡らせ、みんなが作ったルールに則って社会は運営されなくてはならないのだ、これが法治国家というもので、洗練された民主主義国家なのだという価値基準を時の既得権益死守政治は完成させたのだ。
 その後は革命なくして社会の正義は行われないのだと思っていたくせに自分の生活を確保する為にそんな意識の行動を簡単にも擲って自分の所得確保に奔走した裏切り者だといわれてきた。
 だというのに、今頃になってまたぞろ既得権益死守自民党公明党連立政権を批判するというの一体どういうことだといわれている。つまり、自分の人生を確保しつつ、その人生が依って来たるところの価値観を批判するのは大層卑怯だという非難である。
 仰る通りなんである。てめぇの生活は確保しておいて、他人を非難するとは何事か、というご指摘なんである。
 しかしながら、今の既得権益死守政治を行っている自民党公明党は明らかに国民を監視し、国民から少しでも多くを搾り取り、それを自分たちにプラスになる勢力に明け渡すことで立場を守ろうとしているのを見ていると、やっぱりこれは権益死守側の暴挙以外の何者だとも思われない。
 この間接民主主義国家では選挙に多くの有権者が参加しなかった。これはこの国の根幹をないがしろにする行動で、この国の基礎を崩壊に至らしめる危険性がある。それはそうだろう。「この人たちにお願いしたい」という基礎的部分を投げ捨ててしまうということだからなのだ。
 つまり好き放題にやってくれても僕も、私も全く文句はありませんよ、なんにも教えてくれない政府だろうと、これまで決して他国に軍隊を送るなんてことはあり得ませんといっていたのを反故にして、放射能の拡散によって驚くほど国土が汚染されようと、自分たちがお金を出しますから、かまいませんよと宣言しているのだ。
 こうなると、社会の正義というものが「間接民主主義」というシステムではいっかな守られないということになるのではないのか。